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“失明の危機”で引退を決意「ボクシングで命を落とすこともある。怖い。でもね」大和田正春を再びリングに戻した赤井英和からの映画オファー 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byWataru Sato

posted2024/08/22 11:02

“失明の危機”で引退を決意「ボクシングで命を落とすこともある。怖い。でもね」大和田正春を再びリングに戻した赤井英和からの映画オファー<Number Web> photograph by Wataru Sato

39年前、赤井英和にKO勝利を収めて一気に注目を集めた大和田正春さん

 時代は1980年代。中量級の世界王座は、夢のまた夢だった。視野に入れていたのは日本王座。すると、間もなくしてチャンスが巡ってくる。ネームバリューがありながらも、簡単に倒せる相手と思われたのかもしれない。1986年3月24日、日本ミドル級王者の無限川坂とのノンタイトルマッチには、2000人を超す観客が後楽園ホールに詰めかけた。

 話題性と興行の規模こそ違ったものの、いつかと同じようなシチュエーションである。会場が騒然となったのは4回。1年前に壊れかけた右の拳を振り下ろし、衝撃のKO勝ち。一度消えかけた男は見事な復活劇を遂げたのだ。そして、日本ミドル級1位の挑戦者として迎えた5カ月後のリターンマッチでも10回3-0の判定勝ち。王者の無限に引導を渡し、念願の日本タイトルを奪取する。判定負けでプロキャリアをスタートさせ、何度も浮き沈みを繰り返しつつプロ7年目で初めて腰にベルトを巻いた。

「あのときはうれしかったなあ。俺がチャンピオンになったんだ、本当になれたんだという感じでした。デビュー当初の頃は、とても自分がなれる気がしなかったから」

 その1カ月後には、福岡の博多でベルトを取るよりも難しいとも言われる初防衛戦をKO勝ちでクリア。がむしゃらに向かってきた丸尾正をキャンバスに沈め、幸先よくチャンピオンロードの第一歩を踏み出したように見えたが、人知れず深刻なダメージを負っていたのだ。

誰にも明かさなかった右目の異変

「がつっと効くパンチをもらったのがいけなかった。右目に黒い星が見えて、すっーと流れていくんですよ。赤井戦のあとから二重に見えることはあったけど、まだ星は出ていなかった。あのとき、これは網膜剥離だなとはっきり自覚し、自分の中で決めたんです。何が何でも5回防衛してから引退しようと」

 右目の異変は、誰にも話さなかった。現在は網膜剥離を患っても完治すれば、リングに復帰できるが、当時の日本ボクシング界は診断を受けた時点で引退勧告されていたのだ。26歳の大和田は視野が狭くなっていくのを感じながらも挑戦者を次から次に退け、日本王座を守り続けた。

 そして、区切りとなる5度目の防衛戦。1987年12月14日、和製タイソンの異名を取ったハードパンチャーの大和武士を迎える。すでにこのときは、視界の半分が真っ白でほとんど見えていなかったという。初回にダウンを喫して王座陥落の危機に瀕したが、5回に2度のダウンを奪い返して逆転KO勝ち。10カウントを聞いた大和田が両手を突き上げると、2500人が入った超満員の後楽園ホールには割れんばかりの歓声がこだました。5連続KO防衛を果たした瞬間は、よく覚えている。

「これでやっと目医者に行けるって。あの目でボクシングするのは苦しかったから。大和戦を終えたときは、仕事をやり遂げたと思いました」

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