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「意識不明の重体…早朝のニュースを見て驚いた」赤井英和をぶっ倒したボクサーを待ち受けていた波乱万丈の人生「ファイトマネー35万円の代償」
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byBBM
posted2024/08/22 11:01
1985年2月5日、赤井英和をKOした大和田正春の左フック。「拳の感覚はいまも覚えている」
ニュートラルコーナーからキャンバスに尻もちをつく赤井をじっと見ていた。きっとまだ立ってくる。目は死んでいない。セコンドから畳み掛ける指示が飛んだものの、一気に勝負には出なかった。立ち上がって、がむしゃらに向かってくる赤井をいなし、じわりじわりと削っていく。大和田の優勢で進んだ7回。角海老ジムの地下でバスのタイヤを殴り続け、体に染み込ませたコンビネーションが出る。
「僕の記憶では左ジャブ、左アッパー、そこから左フックだったと思います。荻原トレーナーからは左のほうが強いからそっちを使えと散々言われていたので。パンチが当たった拳の感覚って、いまも覚えているんです。かなり効いたと思ったけど、赤井さんはまだ立ってくると思いました。執念を感じました。次に世界戦が控えていましたからね。僕はその世界戦を阻止しようなんて考えはなく、ただ勝ちたい一心でした」
勝利を告げる10カウントを聞くと、飛び上がって喜び、キャンバスで大の字になっていた。感情がこみ上げるよりも、先にすっと力が抜けた。準備期間からの苦労が報われたのだ。
「やっと終わった。これでビールが飲めるよって」
ミナミのクラブで冷やした右手の拳
騒然となる大阪府立体育館を出ると、真っ暗な空からぽつぽつと冷たい雨が落ちてきた。
晴れやかな気持ちでいっぱいの大和田は気にも留めず、すぐに祝勝会の会場となったミナミのクラブへ足を運んだ。ソファー席にゆっくり腰を下ろせば、試合前に花束を持って来てくれた綺麗な女性が隣に座った。腫れ上がった右拳を冷たいおしぼりで冷やしてくれ、注がれたビールのグラスを左手で持ち、乾いた喉にゆっくりと流し込んだ。
宿泊先のホテル南海に戻ったのは深夜だった。部屋に入ると、すぐにシャワーを浴び、Tシャツ1枚とジャージに着替えてベッドに横になった。静かに目を閉じても眠れない。右の拳がじんじんと痛むのだ。
「拳が普段の3倍くらいの大きさになっていました。アルコールを飲んだので、余計に腫れたんでしょうね。とりあえず、冷やそうと思って、洗面台の蛇口をひねると、2月の大阪の水は肌が痛いくらいに冷たくて。かといって温めれば、また痛むし、あの晩はずっと眠れませんでした」