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「俺のこと恨んでいると思っていた」赤井英和を病院送りにした“噛ませ犬”大和田正春はいま…「“浪速のロッキー”の脳が揺れた鮮烈の左フック」
posted2024/08/22 11:00
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
BBM
長い年月が流れても、心にずっと引っかかっていた。
試合で脳挫傷を負い、引退勧告を受けた赤井英和がそのままグローブを吊るした事実はメディアでも大きく報じられた。当然、対戦相手の大和田正春も知るところ。俳優として活躍する赤井の姿を画面越しに見てきたが、すっきりしなかった。
胸のつかえが取れたのは、つい1年半前である。1989年に公開された赤井初主演の映画『どついたるねん』で共演して以来、約33年ぶりに東京都青梅市の劇場で再会。2022年12月、赤井の長男でプロボクサーの英五郎が監督を務めた映画『AKAI』のトークショーに招待されたという。年季の入った小さなジムのパイプ椅子に腰を下ろし、しみじみと振り返る。
「赤井さんの奥さんから電話をもらったんです。当日は赤井さんも来ると知らされ、足を運びました。人づてに『赤井さんは何も気にしていない』と聞いていましたが、あらためて『わだかまりは一切ない』と赤井さん本人が言ってくれて……。あの言葉はうれしかったなあ。心のどこかで、俺のことを恨んでいるんじゃないのかと思っていたので」
還暦を過ぎたいまも、メッキ工の仕事に没頭しているときや一人で時間を過ごしていると、ふと赤井戦を思い出す。
「赤井サイドから話が来ているから」
試合のオファーが届いていることを知ったのは、1984年の晩秋。所属していた角海老宝石ジムの地下1階で厳しいフィジカルトレーニングを課され、毎日のように朝夕と計26kmのロードワークもこなしていた時期だった。
担当の荻原繁トレーナーから「一度、ボクシングの練習を忘れてくれ。背中の筋肉をつけよう」と言われ、18kgのバーベルを両手に持ち、毎日のようにひたすら筋トレに励んでいた。
「次の試合も決まっていないのに、きついトレーニングをさせられていたんです。マネジャーやトレーナーは、少し前から知っていたんでしょうね。ある日、いきなり『赤井サイドから試合の話が来ているから』と言われたときは、びっくりしましたよ」