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「吉田輝星以来の甲子園」金足農、初戦で去る…154球投げた2年生エース、吉田弟・大輝(17歳)の「将来を考えての交代」は妥当だったのか? 

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氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2024/08/11 06:01

「吉田輝星以来の甲子園」金足農、初戦で去る…154球投げた2年生エース、吉田弟・大輝(17歳)の「将来を考えての交代」は妥当だったのか?<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

最速146kmの直球を軸に力投した吉田大輝だったが……

 それは登板過多の問題だ。

 吉田輝星は県大会から甲子園の決勝戦の5回までを一人で投げ抜いた。熱投には間違いなかったが「チャイルド・アビュース」(児童虐待)ではないか、という声さえあがり、社会問題となった。当時、上梓した拙著『甲子園という病』もこのために話題となるほどだった。

 しかし、日本高野連はこの時期あたりから甲子園のさまざまな改革に着手している。2018年からはかねてから議論になっていたタイブレーク制度を採用。コロナで甲子園での実施は1年遅れになったものの、2020年からは1週間500球の球数制限を導入した。3回戦以降に計3日の休養日を設けるようになったし、今年は朝夕2部制を試験的に運用している。

 吉田輝星の登板過多がこれらの改革全てにつながったというわけではないが、あの力投により、日本野球界全体に変革が起きはじめたことは間違いなかった。

輝星の時とは違う

 だから、昨今の大会では登板する投手の人数が軒並み増えてきた。代わりに、少しずつではあるものの、一人の投手の1試合の投球数は減少傾向ではあったのだ。

 しかしこの日、吉田大が投げた球数はここまでの大会で最多の154球。それも7回までの数字だ。さらに言えば、吉田大はまだ2年生なのだ。

「5回にエラー絡みで失点した時も交代がよぎりました。野手でピッチャーができる選手もいましたから。7回で150球を超えていたので、将来もあるので無理できないなと思って代えました」

 金足農の指揮官、中泉一豊はあの時とは違ってエースの途中降板も考えるようになったと話す。

 しかし、150球を超えてしまってからの交代の指示は本当に「将来を慮っての交代」といえるのかどうか。金足農の中にはまだ、あの日の力投が美談として残っているような気がした。

【次ページ】 輝星の同期のコーチの思い

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