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オリンピックPRESSBACK NUMBER
「森ちゃんが亡くなってから1年しんどかった」池田久美子が26歳で他界した親友に誓った五輪出場「おばあちゃんになっても砲丸を投げたいと…」
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byJun Tsukida/AFLO SPORT
posted2024/08/09 11:03
何でも言い合える関係だった森さんを亡くした後、心に穴が空いた時間があったと語った池田久美子
森さんが亡くなってから4カ月後の12月。井村さんはアジア大会で36年ぶりとなる金メダルを獲得した。
「実は日本記録を出した後、1カ月間、海外を転戦したんです。そのときに、“ああ、森ちゃんってこんな寂しい思いをしながら海外で挑戦してたんだ”みたいなことを感じながら跳んでいて。いつまでも悲しみを引きずっていたら森ちゃんに怒られるだろうなって、落ち込んでばかりいても得られることは何もないという思考に落とし込むことができるようになっていたんです」
井村さんは、森さんが目指していた2008年北京五輪の出場権を手にした。手帳に父と森さんの写真を忍ばせ、2人の想いと一緒に大舞台に挑んだ。
記録は6m47。7mは届かず決勝進出を逃し、約束を果たすことはできなかった。
日本ではトップ選手として活躍していたが、「まだまだ海外の経験が少なかったので、圧倒されてしまった」と力不足を痛感。
「森ちゃんだったら慣れていたんだろうな……」。そう思ったという。
中国人のナショナルコーチから「森の友だちでしょ? 頑張って!」と声を掛けられることもあった。中国でもいかに愛されていたのかあらためて実感した大会でもあった。
競技が違っても通じ合えた理由
2人は砲丸投と走り幅跳びと種目は異なったが、お互いの競技に対する向き合い方や考え方は大きな刺激になった。
「投げると跳ぶって動作が全然違いますけど、シンプルにどういう練習をするのかにお互いに興味があって。砲丸はグライドという投げ方があるんですが、それを寮の廊下で森ちゃんが教えてくれましたし、逆に私が幅跳びのドリルという基礎練習を森ちゃんに教えることもありました。どういう動作なのか、その練習が何に繋がるのか、質問攻めにしたことも。そうやって自分の競技に繋がったり、プラスになることもあったんです」