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「森ちゃんが亡くなってから1年しんどかった」池田久美子が26歳で他界した親友に誓った五輪出場「おばあちゃんになっても砲丸を投げたいと…」 

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石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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photograph byJun Tsukida/AFLO SPORT

posted2024/08/09 11:03

「森ちゃんが亡くなってから1年しんどかった」池田久美子が26歳で他界した親友に誓った五輪出場「おばあちゃんになっても砲丸を投げたいと…」<Number Web> photograph by Jun Tsukida/AFLO SPORT

何でも言い合える関係だった森さんを亡くした後、心に穴が空いた時間があったと語った池田久美子

 森さんは高校3年の陸上連盟のジュニア合宿で中国の上海体育運動技術学院を訪れ、21m66の世界歴代10位の記録を持つ隋新梅コーチから指導を受けた。

 以降のシーズンも記録向上のカギは海外にあると、毎年、シーズン前には上海へと渡った。

 当時は海外挑戦が一般的ではなかった故に、周囲からは懐疑的な声も聞こえてきた。しかも女性が1人で武者修行に行くことも否定的だった時代だ。

 それでも森さんは喧嘩してでも、「自分が決めたことだから」と押し通し、中国へと渡った。彼女の中では、それは決してめずらしいことではなく、普通。そんなメンタリティーの持ち主だった。

「最初は中国語が全然分からなくて帰りたいと思ってたこともあったらしいです。日本に電話しすぎて膨大な電話料になったこともあったと話していたこともありました(笑)。それでも砲丸投げをもっと深く学びたいからと中国語も必死になって覚えるし、出来る人に追いつけるようとにかく真似るところから始めてみたり。それを、目をキラキラさせながらうれしそうに話すんですよ。ダメな自分も目を背けずに受け入れて、自分の力で道を切り拓いていく。そういう意志の強さは本当にすごいとしか言えないです」

「みんな森のメンタルが欲しいって」

 余談だが、井村さんの娘はインターナショナルスクールに通っていたのだが、それも中国留学で自らの可能性や世界を広げた親友の挑戦が大きく影響している。

 森さんのどん欲な姿勢やチャレンジは井村さんのみならず、同期の末續慎吾や澤野大地らトップアスリートたちにとっても大きな気づきやヒントになった。

「私たちの世代では森ちゃんだけが海外に飛び出して学びを得ていたので、仲間内でもよく“あいつはすごい”って話になっていたんです。みんな“森のメンタルが欲しい”って羨ましがってました(笑)。森ちゃんの姿が各々自分の競技でも頑張ろうという向上心につながったんだと思います」

【次ページ】 おばあちゃんになっても砲丸を投げたい

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