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「絶対に恨んだりしない」涙する娘が父と交わした“誓約書”…ゴルフ笹生優花の原点「この書面にサインしたら、練習時間は親子じゃないよ」
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byGetty Images/Shigeki Yamamoto
posted2024/08/08 17:02
パリ五輪初日は5オーバーと出遅れ、巻き返しに期待がかかる笹生優花(23歳)。二人三脚でサポートしてきた父・正和さん
「練習に連れていくたびにプロになりたいって言うもんだから、『やめた方がいい』って何度も言いました。厳しいことを続けないとプロになんてなれないし、そもそも小学生ならこれからもっと楽しいことがたくさんあるのに。
あんまりにもいうので、それで試しに小学2年の夏休みにフィリピンに連れて行ったんです。私がメンバーだったゴルフ場で、火曜日から日曜日まで、午前6時半から午後6時半まで40日間ほどゴルフ漬けですよ。普通、子どもだと途中で『帰ろう』とか『お腹がすいた』とか言って飽きちゃうもんですが、優花は私が帰ろうと言わなきゃ帰らないし、昼飯も食おうと言わないと食べない。当時は日本語もわからなかったでしょ、でも(学校とは違って)ゴルフ場だと言葉がいらない。私に教わっていればいい話だから、勉強よりもそっちに心が惹かれていったのかもしれません」
5歳から8歳までの3年間を日本で過ごした後、正和さんはゴルフを本格的に始めるために娘を連れて再びフィリピンへ戻った。
日本でもゴルフを続けさせることはできたが、現地ゴルフ場のメンバーでもあったため安く利用できるというのが魅力的だった。この時、小学3年になる娘とこんな約束事をした。
「俺の言う通りにできるならいいよ、と条件を出しました。本人の夢がプロゴルファーなら、絶対にプロにさせようと思っていましたよ。だからまず体作りをする。プロになれば毎日試合があるから、毎朝5時に起きる。そのほかにも決めたメニューをこなせなければ、すぐに日本に帰るという条件を出しました」
父が課した過酷なトレーニング
二人三脚で始めた練習メニューは聞いて驚く。
毎朝5時からランニング。それも100メートルダッシュして、100メートル歩く。それができたら、500メートルの軽いランニングをして、その後は一番重いギアで自転車を30分。慣れてきたころに両足首に250グラムずつ、アンクルリストをつけて走らせた。ラウンド中もつけてプレーし、外していいのはシャワーを浴びる時だけ。最高2.5キロまで重さを上げた。
さらに野球の1200グラムのマスコットバット、ゴルフのインパクトスティックを使い、100回ずつ振らせた。
クラブを使っての練習にもこだわりがあった。
「岡本綾子さんの本に『幼い時には難しいクラブで練習させないといけない。プロになったら簡単なクラブを選んだほうがいいよ』って書いてあったのを覚えていたんです。それで大人が使うクラブのシャフトを切って使わせた。シャフトがしならないので球が飛ばないけど、結果は求めなかった。プロになって壊れない体を作ってやろうと思っていましたから。私も学生のころは柔道、空手、剣道のほかキックボクシングもやってきた。だから体づくりにおいて、何が大事なのか。下半身と背筋が弱かったら、何のスポーツをやってもダメなんです」