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「キャプテンは石川祐希ですけど、大ボスは関田誠大」「2人の言い合いは日常だった」盟友・今村貴彦だからわかる、天才セッターが最後に託す場所 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byTakahiko Imamura

posted2024/08/02 11:56

「キャプテンは石川祐希ですけど、大ボスは関田誠大」「2人の言い合いは日常だった」盟友・今村貴彦だからわかる、天才セッターが最後に託す場所<Number Web> photograph by Takahiko Imamura

中央大で関田誠大、石川祐希と共にプレーした今村貴彦。2人の関係性を明かした

 初めて会ったのは、中学選抜の選考合宿だった。今村は宮崎で、関田は東京。互いの名前も顔も知らなかったが、関田のトスを一本打っただけで衝撃が走った。

「このトスを打ちたいってビビッときたんです。目をつぶって腕を振れば関田のトスがそこに来る。それぐらい合わせてくれるし、ただ優しいだけじゃなく『そこに上げたんだからちゃんと打てよ』というプレッシャーも込めてくる。大げさじゃなく、この人だ、って。ひとめぼれみたいな感じでした」

 すぐに仲良くなった。高校も「同じチームでやりたい」と考えたが叶わず、チームメイトとして戦うことが実現したのは中大に進学してから。3、4年時に全日本インカレを制し、天皇杯ではVリーグのサントリーサンバーズにも勝利した。

 今村自身、ケガで試合に出場できない期間もあったが、関田のトスを打ち続けた4年間はただただ楽しく、最も多く打ち続けてきたと自負しているからこそ、今村には確信があった。

「(関田は)身長は小さいかもしれないけど、絶対に代表に行って活躍する選手だと思っていました。だから一緒にパナソニックに入って、すぐに関田が代表に呼ばれたと聞いて、もっと上に行くだろうなと信じていました」

「あのパンケーキは、おいしかったですね」

 だが、願うチャンスはなかなか巡ってこない。オポジットの今村に清水邦広という越えなければならない存在がいたように、関田には日本代表でもパナソニックでも深津英臣という壁があった。ともに試合に出られず、悔しさやもどかしさを募らせたが、抱えるだけでなく発散する場所があったのが幸いだった。

「(ゲーム形式の)AB戦で、関田と僕はBに入るんですけど、そこで全部、ぶつけていました。深津さんや清水さん、その当時公式戦に出ていたAのメンバーが3冠を達成した時に『Bチームがいたから強くなれた』と言ってくれたのが嬉しかったし、“俺たちはVリーグで2位の力があるんだ”とモチベーションにしていました」

 リーグ戦は土日に試合が行われ、レギュラー組は月曜がオフになる。試合に出ていないメンバーは休日返上で練習するのが常だったが、一度、関田と2人で日曜に行われた試合にスタメンで出場のチャンスをつかんだことがあった。試合にも勝利し、翌日は待望のオフ。

「やっとスタメンになれた!休みだ!と嬉しくて。2人で寝起きの腫れぼったい目のまま、モーニングを食べに行ったんです。あのパンケーキは、おいしかったですね(笑)」

【次ページ】 関田が堺へ電撃移籍「別れ話をされた恋人の気分」

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