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サッカー五輪代表落選→初戦前日、大岩監督から電話「いけるか?」「いけます」“ドラマみたいな”緊急招集のDF内野貴史「ツラい時期も…」
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph byMutsu Kawamori
posted2024/08/01 17:06
クラブで昇格を逃すPK失敗、当初の18人枠落選と悪夢続きだった内野貴史に、緊急招集という形でパリ五輪出場機会が巡ってきている
4月に行われたU-23アジアカップには所属のフォルトゥナ・デュッセルドルフを説得して参加が可能になった。デュッセルドルフでも出場機会が徐々に増えて来ていた時期で、約1カ月間クラブを離れることがある程度のリスクとなるのは承知の上だった。
にもかかわらず代表での出場時間は伸びなかった。初戦中国戦と第3戦韓国戦に先発したが、残りの4試合のうち3試合はベンチをあたため、出場した決勝も出番はわずか1分だった。2001年3月生まれ、つまり世代で一番上の学年の早生まれであり、明るいキャラクターから、アジアカップでは副主将を務めた。
「チームのためにできることはあったけれど、自分自身はあんまり試合に出られなくて難しかった」
そう振り返っている。
クラブでは昇格を逃す痛恨のPK失敗
戻ったデュッセルドルフではリーグ戦を3位でフィニッシュ。5月下旬、1部ボーフムとの入れ替えプレーオフを戦った。初戦に3-0で勝利し、ホームで迎えた第2戦は延長のすえPK戦にもつれ込んだ。このPK戦もサドンデスに入り、内野は7番手として蹴ったが大きく枠を外してしまう。デュッセルドルフの1部昇格を絶ったのは、自分の右足だ。内野はその場に崩れ落ちた。
この日、筆者は取材のためスタジアムを訪れていたが、内野はいつまでたっても取材エリアに姿を現さなかった。
多くの選手が家族を伴ってスタジアムを後にする。選手たちの家族の服装はパーティ仕様で、祝勝会を想定していたことがうかがえた。ボーフムの浅野拓磨の超ご機嫌な取材を終えても、まだ内野に会うことはできず。取材を無理強いするタイミングでもないと判断し、こちらもスタジアムを後にした。
周りの人が助けてくれてようやく抜け出せました
6月、アメリカ遠征に招集された内野にあらためて話を聞いた。
「えー、あのプレーオフの日、スタジアムで待ってたんですか? もう待たないでくださいよー」
そんな軽口を叩きながら話を始めた。