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「私が紗理那のチャンスを潰した」セッター宮下遥が今も悔やむ“次世代エース”古賀紗理那の落選…29歳で現役引退の本音も「パリ五輪がんばって」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byAsami Enomoto
posted2024/07/26 11:05
リオ五輪を振り返った宮下遥(29歳)。先日、現役引退を発表した古賀紗理那への想いを明かした
最終予選を劇的な形で勝利したことで、どこかで「満足」していた。人生で初の五輪を宮下はそう振り返った。
「達成感が大きすぎて、これからが本番で、あれ以上に燃えなければいけないとわかっているのにできなかった。それから私の中ではもう1つ、(古賀)紗理那に対する思いも、ずっと引っかかっていました」
ワールドグランプリを終えた翌日の6月27日、リオ五輪に出場する12名が発表された。そこに古賀の名前はなかった。
前年のワールドカップで頭角を現し、次の東京五輪を見据えても出場は確実視されていたため、古賀の落選は大きな衝撃だった。
もちろん、指揮官が頭を悩ませた末に下した苦渋の決断であることは誰もがわかっている。しかし、その責任を宮下は自らに向けていた。バレーボールを始めてからの軌跡を、時折自分でツッコミを入れながら楽しそうに語っていた宮下が唯一、下を向いて言葉を詰まらせたのが古賀の話をした時だった。
「沙織さんとトスがなかなか合わなかったように、紗理那と合っていないのもわかっていたんです。でもそれでも、ワールドカップでは私がどんなトスを上げても紗理那が何とかしてくれた。だから私はその感覚が抜けないまま、このぐらいだったら紗理那が何とか決めてくれると頼っていた。もっと私が何とかしなければならないところだったのに、紗理那の能力、ポテンシャルに甘えて潰してしまった。本当に申し訳なかったし、紗理那は絶対にリオへ行くべき選手だった。今もまだ、あの頃の紗理那のことを話すと胸が詰まって、うまく言えないんです」
「この経験を東京五輪にどう活かすか?」
リオ五輪が開幕した翌日の2016年8月6日、女子バレー日本代表は韓国との初戦に臨んだ。「最大のターゲット」と位置付けていた相手に1対3で完敗。宮下は最後までパフォーマンスが上がらず、眞鍋監督に叱責された。だが、それも完全に気持ちが切れていた宮下には逆効果だった。
「あれだけ必死な思いをして獲ったオリンピックの切符だったのに、もういいや、って。早く日本に帰りたい、帰してくれと思っていました」
準々決勝でアメリカに負けた直後、取り囲む記者からミックスゾーンで投げかけられた。
「東京(五輪)へ向けて、この経験をどう活かしますか?」
無感情のままひと言、宮下はこう答えた。
「目指します」
でも内心は違う。
「日の丸を背負ってこんな思いをするのはもう嫌だと思っていたけれど、応援してくれる人たちを裏切れない。気持ちは“やりたくない”と思っているけれど、言葉では“頑張ります、目指します”と言わなきゃいけないんだろうな、というのが何よりつらかった。岡山に戻ってからも『シーガルズで頑張って』よりも『日本代表で次のオリンピックも頑張ってね』と言われるのが苦しくて、私にその言葉はかけないで、と思い続けてきました」