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スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
身長195cmの慶応ボーイ…五輪で注目“規格外ハードラー”豊田兼(21歳)を生んだ“偏差値70”桐朋陸上部の教え「高校で日本一にはなれない。でも…」
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byYuki Suenaga
posted2024/08/04 19:00
400mハードルで一躍上位候補に躍り出た慶大4年の豊田兼。195cmの大器だが、その原点は超進学校だった中高時代にあった
「当時、豊田は持ちタイムでいえば高校生ランキングでもトップクラスというわけではありませんでしたが、どういうわけか選んでいただいたんです。ところが、ゴールデングランプリを迎えるまで、走れるかどうか分からない状態でした」
7月25日、豊田は東京選手権に出場、ここで14秒18の自己記録をマークする。ところが、その後に下半身の肉離れに見舞われてしまう。
「これが、かなりひどい肉離れでして。東京選手権のあとの1カ月間はほとんど走れない状態が続きました。豊田がハードリングを再開したのは、ゴールデングランプリの前日、8月22日のことでした」
ここからレースが始まるまでの時間に、外堀先生は豊田から「底知れない集中力」を感じた。
「コロナ、肉離れ、順調に運んだことなど何一つなかったのに、豊田からは研ぎ澄まされたものを感じました。その姿を見て、私は招集所で感極まった状態で豊田を送り出しました」
豊田は1レーン。隣の2レーンには、パリ・オリンピック代表となった村竹ラシッド、5レーンには高山峻野がいた。
ドリームレーンを走った豊田は7着、それでも14秒15の自己ベストをマークする。
「前日までハードリングも出来ない状態だったのに、いったい、どこからこんな力が湧いてきたのか。本当に信じられない思いでした。スイッチが入ったんでしょうね。彼の新たな可能性を見たレースで、私にとっても忘れられない試合になりました」
「上には上の選手がいるんだな」
多くの指導者は、自分が面倒を見ている時に成果を出したいと願う。それは選手のためでもあり、自分のためでもあるだろう。
しかし外堀先生は、高校生の豊田に勝たせようとは考えず、ひたすら土台の拡張を図った。それでも、ドリームレーンは豊田の可能性を大きく開いた。豊田はこのレースのことをこう振り返る。
「上には上の選手がいるんだなと実感しました。自分も上を目指すからには、やらなければいけないことがたくさんあるなと」
豊田はその後、慶応義塾大学に進学。高校時代のレースを間近で見ていただけに、豊田の二刀流の挑戦に注目していた。体が大きくなり、2年生の時には110mHで学生歴代3位となる13秒44をマークしたが、こと400mHに関しては大学2年までの彼の走りは無謀に見えた。