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慶大・清原正吾が語る“清原家の今”「母は涙ひとつ流さなかった」再会した父・和博の謝罪「ごめんな…」中高時代は離れた野球、当時の本音
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byShigeki Yamamoto
posted2024/07/10 11:00
清原和博の長男で、現在は慶應大4年の正吾。NumberWebのロングインタビューに応じた(前編)
自宅ではお母さん(モデルの亜希さん、55歳)が一番大変だったはずなのに、僕たちの前では涙ひとつ流さず、寂しい顔も見せなかった。長男として、弟に『お母さんには迷惑をかけないようにしよう』と伝えていました」
中学はバレー、高校はアメフト
大好きだった野球を離れてからというもの、中学ではバレーボール部、高校ではアメリカンフットボール部と、異なる競技に汗を流した。
「子供の頃からどんなスポーツもそれなりにはできましたし、学校のスポーツテストは常に1位でした。バレーボール部ではエースでしたし、アメリカンフットボール部ではタイトエンドという攻撃のポジションを任されていました」
アメフトでは神奈川県選抜にも選ばれ、出場した2大会でMVPを獲得した。そんな正吾に対し、大学のアメフト部は、彼の入部を心待ちにし、正吾を中心としたスペシャルプレーまで用意していたほどだった。
正吾が他のスポーツに励んでいた時期、愛憎相半ばする父とはしばらく交流を避けていた。しかし、離れた父子の関係を修復するきっかけとなったのが、野球だった。
「僕が高校生の頃、中学生だった弟がバッティングに悩んでいて、相談を受けたんです。だけど、野球から離れていた自分はなかなか力になれなかった。いろいろ考えた結果、僕なんかより『アパッチが一番のコーチじゃない?』と弟に言いました」
父の一言「ごめんな…」野球を再開するまで
父と勝児、そしてサポートとして正吾も参加した初めてのトレーニングの日、和博氏はふたりの息子にこう告げた。
「ごめんな」
正吾が父の心境をこう慮った。
「僕が野球から離れたことについて、父とはあんまり話したことはなかった。父の中には負い目があり、責任を感じていたのかもしれません」
2021年に大学進学するとき、薬物依存から立ち直ろうとし、糖尿病とも闘う父の少しでも励みになれることはないか。正吾はそう自問自答した。かつて父の背中を追っていた正吾は、今度は父親の背中を押してあげたいと思うようになった。
「大学4年間は、最後の学生生活となる。まずは今まで育ててくれた両親に恩返ししたいというのが、自分の心の第一優先としてありました。アメフトでは正直、高校の部活としては行けるところまで行ったし、やりきった想いも強かった。社会復帰をし始めて頑張っている父の人生を活気づける何かをしたいなと考えた時……」
答えは野球を再開するということだった。正吾は白球と木製のバットを手に取った。
〈つづく〉