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慶大・清原正吾が語る“清原家の今”「母は涙ひとつ流さなかった」再会した父・和博の謝罪「ごめんな…」中高時代は離れた野球、当時の本音 

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柳川悠二

柳川悠二Yuji Yanagawa

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2024/07/10 11:00

慶大・清原正吾が語る“清原家の今”「母は涙ひとつ流さなかった」再会した父・和博の謝罪「ごめんな…」中高時代は離れた野球、当時の本音<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

清原和博の長男で、現在は慶應大4年の正吾。NumberWebのロングインタビューに応じた(前編)

 6歳だった2008年にはオリックスに所属していた父の引退試合にも足を運んだ。大歓声に包まれながら引退した父の背中を追うべく、慶應幼稚舎(小学校)の3年生の時に、軟式野球チームの「オール麻布」で野球を始めた。野球が大好きだった。夢はプロ野球選手だった。

「当時住んでいたマンションの部屋で、新聞紙をガムテープで丸めて、プラスチックのバットで打ったり、お台場の公園に行って父の自主トレに付き合ったりしたこともありました。父からは『センター返し』『リラックス』と基本的なことを教わりました」

「派手なリストバンド」の理由

 思い返すと、昨夏の甲子園で優勝した慶應高のメンバーだった弟の勝児も帽子に「リラックス」「センター返し」「己を信じて」という父の言葉をマジックで書いていた。和博氏が常日頃から口にする教えなのだろう。さらに勝児は和博氏が現役時代に使っていたヘルメットの背番号部分を切り取り、ユニフォームに縫い付けて御守り代わりにしていた。正吾が続ける。

「僕も六大学のリーグ戦では、父が現役時代に使っていたリストバンドとグローブを使っています」

 小学校も高学年になった頃に父の薬物騒動が起き、6年生だった2014年に両親が離婚。中学(慶應普通部)進学のタイミングで、野球とは距離を置いた。さらに、2016年2月には父が覚醒剤取締法違反で逮捕されてしまう。

「母は一度も涙を見せなかった」

 話題が核心に迫ろうというとき、正吾のほうから父に対する当時の感情を、サラリと言葉にした。

「一度は、父親のことが嫌いになりました。あの頃は野球からも目を背けたくなってしまった」

 思春期を迎えていた正吾はとても平静を保てる状況ではなかったはずだ。

「そうですね。家族である僕自身も驚きましたし、騒動の時は家から出られない状況が続きましたから。でも、学校には一日も休まず通いました。それができたのは、間違いなく通っていた学校が慶應だったからだと思います。慶應の学生は、中学生でもどこか品があって、状況を理解して大人のような気遣いをしてくれる。だからこそ、僕も普通の学生生活を送れた。

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