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プロ野球PRESSBACK NUMBER
“ドラフト最下位指名の男”が味わった絶望「もうダメかな…」“遅れてきた大谷世代”佐野恵太が下剋上を果たすまで「甲子園が羨ましかった」
posted2024/06/30 11:01
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Kiichi Matsumoto
「第9巡選択希望選手。横浜DeNAベイスターズ、佐野恵太」――2016年10月20日のドラフト会議。セ・リーグの支配下登録選手として最後に名前を呼ばれたのが、のちに首位打者と最多安打のタイトルを獲得する佐野恵太だった。大谷翔平、藤浪晋太郎、鈴木誠也をはじめ、若くして活躍する同世代の背中を追ってプロ野球の世界に飛び込んだ佐野は、いかにして“ドラフト最下位指名”からの下剋上を果たしたのか。29歳の打撃職人が野球人生のターニングポイントについて語った。(全2回の1回目/後編へ)
“ドラフト最下位指名”からの下剋上
手元に一枚のリストがある。1994年度生まれの主なプロ野球選手一覧表である。なんと58人。実に壮観だ。単純計算でもNPBの1球団あたり5人ほどが在籍することになり、このリストの最上位にいるのがドジャースの大谷翔平である。
今年30歳になるシーズンで、まだNPBの現役で戦っている選手も多く、錚々たる顔ぶれが並ぶ。リストにはドラフト順位も記されていた。ふと目に留まった選手がいた。「横浜9位(2016年)」。指名時点ではまだ戦力とは見込んでいない育成ドラフトの選手を除けば、セ・リーグの支配下選手のなかでは最後の指名だった。
横浜DeNAベイスターズの佐野恵太が話題を集めたのは2021年11月、契約交渉を終えた後だった。4000万円アップの推定年俸1億1000万円でサイン。ドラフト9位以下の選手が一流選手の証でもある「1億円」の大台を突破したのはセ・リーグ史上初の快挙だった。前年の20年に初めて規定打席に達して首位打者。そしてこの年も全試合出場を果たしていた。不動の主力の地位を築いた男にとって、新たな“勲章”になった。
なぜ、ドラフトでセ・リーグ最下位指名だった佐野が球界トップクラスの選手に上りつめられたのだろう。心の在り方や人との縁……。転機を迎えた時、流れを自ら引き寄せていく力強さがあった。
「下から下から這い上がっていく……」
佐野が自らの野球人生を表現する時、よく使うフレーズである。地元岡山の県教育委員会のYouTube番組に出演した時も、マジックで「下剋上」としたためた。