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「野茂英雄さんの存在が大きい」大谷翔平・山本由伸も…斎藤隆が知るドジャースの“日本的な人情”「スタッフに本気で怒られた」深い理由
text by
間淳Jun Aida
photograph byKoji Asakura/Nanae Suzuki
posted2024/07/07 17:02
野茂英雄から大谷翔平まで。斎藤隆が語る名門ドジャースの「他球団にない」心配りとは
体のケアをするトレーナーや身の回りの世話をするマネージャーら、アジア担当部署には日本人スタッフが在籍した。選手の生活をサポートする日系のトラベルマネージャーは日本の食材を置いているスーパー、車を修理する際にお勧めの店舗、日本人従業員がいる銀行などを記載した日本人選手用の冊子を準備した。マイナー契約で通訳のいなかった斎藤は冊子が重宝した。
「球団に日本人の通訳がいると情報をもらえますが、当時は日本人選手が自分だけで通訳がいませんでした。冊子には飲食店のメニューや営業時間も書いてあったので助かりました。ドジャースのスタッフからは『1人で店に行きづらい時は、いつでも連絡してください』と言ってもらいましたし、そういった心配りが何よりもうれしかったです」
スタッフに「本気で怒られた」ワケ
斎藤にはドジャース時代、球団スタッフとのやり取りで忘れられないシーンがある。
手厚いサポートに感謝しながらも、負担になっていると感じたことから「自分はマイナー契約の選手だから、そんなに頻繁に来てもらわなくても大丈夫ですよ。忙しいでしょ?」と声をかけた。
すると、そのスタッフが怒りを爆発させたという。
「私がここにいるのは、あなたをサポートするためです。そんなことを二度と言わないでくださいと本気で怒られました。その言葉がうれしくて泣きました。すさんでいた心が洗われましたね」
英語に苦労していた斎藤にとって、通訳のいない生活は楽ではなかった。
学生時代から英語は苦手で「be動詞の使い分けもままならず、過去分詞と言われても分かりません」と笑う。だが、ドジャースのスタッフの存在によって、グラウンド外のストレスは大幅に軽減した。
「通訳なしでも生活できるくらい体制が整っていました。自分のつたない英語でも一生懸命に意図を理解しようとしてもらいましたし、アジアの選手に対してスタッフが温かかったです」
そのサポートに応えたい気持ちもモチベーションにつながった。
初めて通訳がついたのはブレーブス時代だった
初めて通訳がついたのはメジャー5年目、3球団目となったブレーブスに所属した時だった。斎藤は通訳なしの生活が続いていたため「いてくれるだけでうれしかったですね」と話すが、日本人メジャーリーガーは通訳に身の回りのサポートも求める傾向がある。