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「野茂英雄さんの存在が大きい」大谷翔平・山本由伸も…斎藤隆が知るドジャースの“日本的な人情”「スタッフに本気で怒られた」深い理由
text by
間淳Jun Aida
photograph byKoji Asakura/Nanae Suzuki
posted2024/07/07 17:02
野茂英雄から大谷翔平まで。斎藤隆が語る名門ドジャースの「他球団にない」心配りとは
母国語が日本語で英語も話せるのか、その逆なのかによって、通訳の特徴も異なるという。
斎藤は「自分が現役だった頃は、冗談を言ったり、お願いしたこと以上に気配りができたりする後輩のようなタイプの通訳が日本人選手から好まれていました」と振り返る。韓国や台湾の選手は英語を話すため、専属で通訳をつけるメジャーリーガーは日本人くらいだったという。
斎藤が実感した“日本的な人情と礼儀”とは
その中で、ドジャースに日本の文化が根付いていると実感する出来事もあった。
メジャー開幕直後、マイナーにいた斎藤が昇格の連絡を受けた時だった。午前9時頃、滞在していたホテルに電話が入った。トラベルマネージャーから今すぐに荷物をまとめて、指定した時間の飛行機に乗るように指示を受けた。そして、球場に寄ってマイナーの監督とコーチに挨拶してから空港へ向かうように付け加えられた。
その日、マイナーの試合の集合時間は午後2時頃だった。斎藤は「今から球場に行っても、まだ監督やコーチは来ていないのではないか」と半信半疑だった。ホテルにタクシーを呼んで、急いで球場に向かった。到着したのは午前10時頃。首脳陣がミーティングする部屋を訪ねると、監督とコーチが待っていた。
斎藤が片言の英語で挨拶する。
「メジャーから声がかかりました。今から空港に行きます」
首脳陣から笑顔で送り出された。
契約社会と言われる米国で、人情や礼儀に触れた。ドジャースには選手が監督やコーチに挨拶する場が設けられていた。
ドジャースには脈々と日本人の文化が
斎藤は球団に日本文化が浸透している理由に生原昭宏の名前を挙げる。アイクの愛称で親しまれた生原はドジャース傘下マイナーの用具係からスタートし、球団経営を学ぶまで信頼される存在となった。
斎藤は「ドジャースにはアイク生原さんから脈々と日本人の文化が継承されていると感じました」と話す。
日本人とドジャースの関係は生原からはじまり、選手としては野茂英雄氏が道をつくった。その後に斎藤隆、黒田博樹や前田健太ら投手を中心に数々の日本人選手が在籍している。その信頼関係は今、大谷翔平や山本由伸へ脈々と引き継がれている。
斎藤隆(さいとう・たかし)
1970年2月14日、宮城県生まれ。92年横浜大洋入団。96年奪三振王。06年に渡米しドジャース、Rソックス、ブレーブス、ブルワーズ、Dバックスでプレー。米通算338登板21勝84S。'15年限りで引退。パドレスのアドバイザー、DeNAチーフ投手コーチなどを務め、現在はDeNA球団スタッフ。