スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
「箱根駅伝にトラウマができた感じで…」天才ランナーは“実家に帰った”「陸上から離れていた」エースの復活…東洋大の逆襲はここから始まる
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byYuki Suenaga
posted2024/06/26 17:22
東洋大・石田洸介(4年)。福岡の浅川中学校時代に“スーパー中学生”と呼ばれた
当然、東洋大では服部勇馬、相澤晃のように日本代表を狙う選手へと成長することが期待されていた。実際、1年生の時には出雲駅伝5区、全日本大学駅伝の4区で区間賞を獲得し、強さを見せていた。
ところが――。人生、順調に進むとは限らない。
1年時の箱根駅伝ではコンディションが整わず、出走は見送られた。酒井監督は言った。
「注目が集まる箱根駅伝ですから、石田クラスの選手ならば、それに見合ったコンディションで臨む必要があります。今回、そこまで状態を上げることが出来ませんでした。じっくり育てていきたいと思います」
しかし翌年、石田は2023年の箱根駅伝でエース区間の2区に登場するも、区間19位に終わった。「史上最高の2区」で石田はスポットライトから遠いところを走っていた。
それからぷっつりと、石田の情報が聞かれなくなった。
「箱根にトラウマができた感じで…」
昨年は大学を離れ、実家に帰っていたのだ。
原因は箱根での走りにあった。自分の理想と、現実の走りがあまりにもかけ離れてしまった。
「箱根にトラウマができてしまった感じで」と心身ともに不調を来たし、昨年5月ごろ、酒井監督や両親と話し合い、実家の福岡に帰った。
「自分の中で限界が来てしまって。無気力というか、陸上から離れるのが一番いいかと思いました」
陸上は繊細な競技だ。フィジカル、メンタル両面が整わなければ練習を継続することさえ難しい。まして、世代トップで走ってきた石田には、抱えなければならない感情も、人より多かったはずだ。
それでも秋には走ることに前向きになり、ジョグを再開した。そんな石田の気持ちが上向くきっかけとなったのが、今年の箱根駅伝だった。
「自分もやらないといけない」
戦前、苦戦が予想された東洋大だったが、往路4位、復路3位で総合4位に食い込んだ。
この原動力となったのが2区の梅崎蓮(宇和島東・愛媛)、3区を走った小林亮太(豊川・愛知)のふたりだった。有力者が集まる往路の重要区間、ふたりはともに区間6位でまとめ、これで東洋大は流れに乗った。この走りに同級生の石田も心を揺さぶられた。
「梅崎、小林の走りを見て、感じるものがありました」