近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
ドジャース同僚がキャッチボールすら拒否、食堂も出禁…野茂英雄がメジャー1年目に経験した「スト破り選手の1軍昇格事件」
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2024/06/02 11:03
野茂英雄のメジャー1年目は選手の労働組合からすればスト明けのシーズン。そのストを巡っての思わぬ余波が1995年の夏にあった
もう、野茂は13番目の球団みたいなもんやで
野茂が投げる日は、阪神が弱いせいもあって、大阪のスポーツ紙はこぞって野茂が「1面」だった。オールスターゲームでナ・リーグの先発投手も務め、その旋風はとどまるところを知らなかった。つい数か月前には「強行突破」「わがまま」「日本を捨てた」とそれこそ非難の的だった男が一転、日本での栄光を投げ打ってメジャーに挑戦、成功した勇気あるヒーローとして称えられ、それこそ今の大谷翔平ばりに連日、野茂情報を届けようとテレビも新聞も雑誌も大騒ぎだった。
「もう、野茂は13番目の球団みたいなもんやで」
デスクの表現も、言い得て妙だった。つまり、1面の候補も「阪神」か「野茂」。もはや野茂の密着マークは欠かせない。そこで、外国人選手の取材がそこそこでき、前年までの野茂担当だった私が、阪神の監督問題がひと段落ついたタイミングで、キャンプ時から野茂の継続取材を続けてきた先輩記者に代わり、終盤のメジャー番として指名されたのだ。
ラソーダによろしく伝えておいてくれ
「そうか、ノモの取材に行くのか? じゃあ、ラソーダによろしく伝えておいてくれ。俺のことも、よく知っているから」
グレンからは、そう励まされた。
しかし、行ってみて分かったが、そんな暢気に「グレン・デービスが、よろしくと言っていました」と、ラソーダ監督にお近づきの挨拶を交わせるような状況ではなかった。
アメリカでも、多忙な日々が待っていた。
取材初日に異例の事態
8月29日のメッツ戦を皮切りにドジャースタジアムでの本拠地9連戦が、生まれて初めてのメジャー取材のスタートだった。
ロスの青い空、緑の芝生。阪神担当になって、記者席から見た甲子園球場のスケール感や雰囲気にも感動したが、ドジャースタジアムの記者席から見たロスの青い空、緑の芝生のコントラストにも、それに負けず劣らず、心が震えるような思いがしたのを今も忘れない。
しかし、感慨も一瞬だった。