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欧州デビュー目前に…3度の前十字靭帯断裂で消えた“天才”は全国注目の指導者になっていた! 財前宣之47歳の今「俺にしかできないことがある」 

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生島洋介

生島洋介Yosuke Ikushima

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photograph byYuki Suenaga

posted2024/05/17 11:01

欧州デビュー目前に…3度の前十字靭帯断裂で消えた“天才”は全国注目の指導者になっていた! 財前宣之47歳の今「俺にしかできないことがある」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

現在は自身で立ち上げた小学生対象のサッカースクールと、ジュニアユース「FCフォーリクラッセ仙台」の代表を務める財前さん

 99年1月、ヴェルディを戦力外となっていた財前はクロアチアリーグのリエカに加入した。だが、まったく水が合わず約半年で帰国すると、当時J2に所属していたベガルタ仙台に入る。読売時代から財前を知るフロントの意向で実現した再起のチャンスだった。

差し出された「背番号10」

「財前に来てもらえるなら獲るべきだって言ってくれた人がいて、拾ってもらったんです。でも5試合目ぐらいで、またしても前十字靭帯断裂をやってしまった。自分のなかで懸けているものもあったから、さすがにもう辞めようかと思いましたね。しかも今度は利き足だったし、そもそもクビだろうなと。でもクラブは契約だけでなく、10番まで用意してくれて。

 2回切って現実を見ているので、3回目は本当にきっちりと治しました。マリノスの中心選手たちが見てもらっていた竹田和正トレーナーにお世話になって。仙台から神奈川のジムまで行って、ボロボロだった体を今度は1年かけて作り直しました。なんとかベガルタに恩返ししたいという思いです。おかげで、その後は大きな怪我なく35歳までプレーできましたね」

 ベガルタ仙台での3季目にあたる01年は、財前がプロ選手として初めて年間を通してプレーできたシーズンだった。しかも最終節ではJ1昇格を決める決勝ゴールを決めている。モンテディオ山形を経てタイ・プレミアリーグで2シーズンすごし、2011年限りで引退すると、財前は再び思い出の地に戻って次のキャリアをスタートさせた。

「街クラブ」から全国へ

 ベガルタ仙台の育成コーチを務めた後、小学生対象のサッカースクール、さらにジュニアユース「FCフォーリクラッセ仙台」を立ち上げた。後者は早くも2期生が高円宮杯全日本U-15に出場し、昨年も3期生が日本クラブユースU-15に進出した。またここ2年連続で清水エスパルスユースに選手を送り出すなど、目立った実績をあげている。

「街クラブですから、選手を育てて価値を上げて次のチームに送り出すのが仕事です。自分が好きな選手を魅力ある選手に育てて、それが評価されていろんなチームから欲しがられる、それは嬉しいですね。加えて全国で戦えるチームができれば最高です。いまは、FC多摩が日本一になったり、大阪のリップエースとか、ジュニアが強い愛知のアロンザとか、強くて色がある街クラブがたくさんあります。財前のチームってこういう感じなんだって色を出したいと思っています。俺にしたら“みんなうまいですね”はまったく褒め言葉じゃないんですよ。

 セレクションでも、一番見ているのはその選手の武器、特長です。まとまっている選手より、粗くてもいいからひとつ飛び抜けたものがあるやつ、そういう個性を大切にしています。よく言ってるのは、スピードテストで一番のやつはどんなにヘタでも合格だよって。いまのチームにも、ユース年代のほとんどのチームが見に来ている選手がいますよ。感覚的に俺に似てるけど、もっとすごいと思います」

【次ページ】 怪我との闘いが「強み」に

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