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「巨人は一番、行きたくなかった」“V9戦士”高田繁(78)が語る22歳の新人時代「夏は昼から炎天下の後楽園で…」「(二軍降格は)土井さんが悪い」
posted2024/05/15 11:02
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
JIJI PRESS
生まれは鹿児島の薩摩隼人。育ちは大阪。名門・浪商のケンカ野球で生を受け、明治大学島岡学科の首席卒業と呼ばれた神宮の華から、V9巨人の川上野球を骨身に刻み込んだ現役時代。引退した後は、日本ハム監督、巨人二軍監督、北海道移転後の日本ハムGM、ヤクルト監督と各地を転々としながら、若いチームの土台づくりを担ってきた。
一線を退いていた2011年12月。親会社が変わったDeNAベイスターズから三顧の礼で迎えられ、チーム作りを任されるGMに就任。焼け野原の中から7年間かけ、チームの土台をつくりあげると、2018年いっぱいでGMを退任した。御年78歳。第一線から退いて早5年。高田繁が語ったプロ野球「ルーキー論」とは?<NumberWebインタビュー全2回の2回目/最初から読む>
高田繁の「記憶に残る」ルーキーは?
――これまで高田さんが出会ってきたルーキーで一番に思い浮かべる選手は誰ですか。
高田 たくさんいますよ。だけどまぁ俺が日本ハムの監督になって最初のドラフトで入ってきた田中幸雄(1986年~2007年/日本ハム)は違ったね。高卒野手にしては身体ができていて、パンチ力はあるし素晴らしい肩も持っていた。惚れ込むというか、使いたくなる魅力のある選手だった。
ところが一塁へとんでもない暴投はするわ、粗削りだわで、周りのベテランからすれば「なんでこんな選手を使うんだ」と文句も出るし、起用法で衝突もする。でも監督は惚れ込んだ選手を使う特権があるんや。幸雄の暴投で何試合落したかしらんけどな、目を瞑って使っているうちに成長を見せてくれた。それはよろこびのひとつだよね。
――田中幸雄さんは、のちにショートでゴールデングラブ賞を5回獲りミスターファイターズという偉大な選手となりますが、高卒1年目の6月から一軍に出場して、開幕スタメンに抜擢した2年目は年間で25失策しています。ガマンされましたね。
高田 それが出会い。それが監督としての醍醐味や。あの年のショートには高代延博がいて、社会人出のドラフト1位広瀬哲朗もいた。高代は実績があり、広瀬も粘りのあるいい選手やったけど、指導者が惚れ込む魅力からしたら田中幸雄や。パッと見た瞬間にああこいつは磨いたら光るダイヤの原石やとわかる。勝敗は別として、チームを作る上で、そういう原石の若い選手がいないチームに未来はないよな。