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「なにをコラァ、お前っ」前田日明ブチギレ“伝説の控え室ボコボコ事件”…29年前のあの日、何が起きたのか? 坂田亘の対戦相手が証言する真相
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph bySankei Shimbun
posted2024/04/21 11:01
元プロレスラー前田日明。“伝説の控え室ボコボコ事件”が起きたのは1995年5月、前田が36歳のときだった
それは「気合の入っていない試合をしていた」という坂田亘の対戦相手である。このとき、坂田亘と対戦したのは鶴巻伸洋という総合格闘家だった。被害者である坂田亘や、当事者である前田日明、リングスの当時の所属選手の口から、この試合のことは時折語られても、対戦相手である鶴巻伸洋のことが語られることはさほどもない。
29年前の「坂田亘対鶴巻伸洋」がいかなる試合内容だったのか。なぜ、この試合に鶴巻伸洋がエントリーされたのか。そもそも、鶴巻伸洋とは何者なのか。彼の証言をもとに、坂田亘以上に波乱万丈な格闘家人生を追ってみたいと思う。
「親は猛反対」前田日明に憧れた少年
鶴巻伸洋は1971年10月22日、新潟市に生まれた。子供の頃から成績優秀、テストは90点以下は取ったことがないという典型的な優等生だった。しかし、少年には「プロレスラーになりたい」という夢があった。憧れは新日本プロレス。ライオンマークの赤いジャージに袖を通すことを夢見ていた。
それが中学に入ると新たなスターが現れる。前田日明である。UWFの若きエースとして、出身団体である新日本プロレスに舞い戻った前田は、藤波辰爾との名勝負、アンドレ・ザ・ジャイアントとの不穏試合、ドン・中矢・ニールセンとの異種格闘技戦を制し「新格闘王」のニックネームとともに、一躍ヒーローとなった。少年の進路は具体的に定まった。
「これで人生は決まりました。UWFに入ろうと真剣に思いました。だから、前田さんが僕の人生を決定付けたんです。最初は中卒で入門するつもりだったんだけど、親は猛反対。当然ですよね。それで高校だけは進学することを了承したんです。成績優秀だったので、学校推薦の無試験入学で高校に進みました」
高1春休みの家出
入学した新潟県立新潟商業高校のラグビー部に入部した鶴巻は、プロレスラーになるための体力作りに専念する。とはいうものの、高1の春休みに家出をしている。行き先は東京。向かったのは用賀にあるUWFの道場……と思いきや、実は東中野の骨法道場だった。