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「大谷翔平選手が知れば、気分が悪いかも…」“超謙虚”なインタビューが話題のMLB李政厚 真面目さの原点は元中日《忍者シール》の父にアリ?
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by(R)JIJI PRESS、(L)AFLO
posted2024/04/12 11:00
今季からサンフランシスコ・ジャイアンツで活躍する李政厚(左)。父は中日ドラゴンズで俊足巧打の打者として活躍した鐘範さん(右)
鳴り物入りで獲得した韓国のスーパースターがショートを守るのは既定路線。「案の定」久慈氏はセカンドの練習をするよう指示され、生え抜きスターの立浪和義は玉突きでレフトへと押し出された。まさしく「鐘範のため」の措置である。ただし「それはそれとして」グラウンド内外で付き合えたという。
「いいやつだったし、一緒に練習をして、正直僕がまたショートをやるのも時間の問題だなと思ったのもあります。脚力はあった。肩も強かった。でもフットワークとかを見ると、『ショートは無理だろう』と。どこまで首脳陣が我慢するかだなって」
ある意味でそのきっかけとなったのが前述の6月の骨折だった。
不振のストレスで「10円ハゲ」を作ることも
離脱を機に久慈氏はショートへ、立浪はセカンドへとUターン。久慈氏は日本の投手の変化球とコントロールの良さにも苦しむ李鍾範の姿もすぐ近くで見ていた。
「ものすごく悩んでいましたよ。当時の中日はサインプレーも細かかったし、それを覚えるのも苦労していた。得意の盗塁も牽制球で刺されていた。ストレスで10円ハゲができていましたもん」
見るに見かねて、いきつけの焼き肉店に誘ってみた。韓国系の経営者も李鍾範の来店を喜んだが、李一家も懐かしい味に舌鼓を打った。
「奥さんと赤ん坊を連れてきてね。ベビーカーに乗っていたのが政厚というわけです。あの赤ん坊が今や“1億ドルの男”ですからね」
また、李鍾範の骨折離脱は、久慈氏だけでなくもうひとりの名遊撃手の野球人生においても転機となっていた。
「新人の僕は二軍でもショートはやらせてもらえず、セカンドを守っていたんです。ところが(鐘範が)骨折したことでショートを守っていた先輩が一軍に呼ばれた。そこが空いたので、僕はショートをやれるようになったんです」
こう回想する侍ジャパンの井端弘和監督は、昨年秋のアジアチャンピオンシップの期間中に来日していた李親子と対面。父・鍾範と旧交を温めたそうだ。