甲子園の風BACK NUMBER
「プライベートな時間がなく…」被災・日本航空石川球児がセンバツで口にした“本音”「練習できず悔しさも」「踏ん張って甲子園で成果を」
text by
間淳Jun Aida
photograph byJIJI PRESS
posted2024/03/27 11:05
応援席に向かってあいさつする日本航空石川ナイン。常総学院との1点差ゲームは両チーム無失策のナイスゲームだった
「左右どちらに打球がきても反応できるように、1歩目を意識していました。普段はグラブで捕球してから握り替えてトスするプレーですが、体が自然に動いてグラブトスになりました。いつも、1つのプレーで試合の流れを変えられると思って守備に就いています。みんなにナイスプレーと声をかけてもらって、スタンドの拍手もうれしかったです」
1つのプレーで流れを変える――その言葉通り、北岡の守備は直後の攻撃につながった。1点を追う9回裏、日本航空石川は1死一、三塁と常総学院を攻める。だが、最後はダブルプレーでゲームセット。勝利にあと一歩届かなかった。
1月1日に「当たり前」が奪われた中で
選手たちに涙はない。被災した地元・石川、そして輪島市に白星を報告できなくても、最後まで笑顔で感謝と恩返しの気持ちを表現した。北岡は「スタンドの声援が力になって、100%以上のプレーができました。球場全体に応援していただいている感じでした。甲子園でプレーできて夢のようでした」と充実感をにじませた。
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1月1日、日本航空石川の選手たちは「当たり前」が奪われた。
高校のある石川県輪島市は能登半島地震で甚大な被害を受けた。
「野球を考える余裕はなくて、生活ができるのか、学校に行けるのかが不安でした」
北岡の頭の中から初めて、野球が消えた。発災当時は実家のある富山県高岡市に帰省中で、出身中学校のグラウンドで練習していたという。すると、大きな揺れが起き、慌てて実家に帰った。テレビで輪島市の状況を見ても、現実を受け止められなかった。
練習ができなくなった日本航空石川は、系列校がある山梨県に拠点を移した。選手たちは必要最小限の荷物だけを持ち、山梨キャンパスの教室に段ボールベッドを敷き詰めて生活。北岡は「段ボールベッドは思った以上に弾力があって快適でした。たくさんの方々に支えていただいて感謝しかないです」と気丈に話すが、避難生活は楽ではない。不慣れな環境での集団生活に「プライベートな時間がないのは大変でした」と振り返る。
「1球を大切にしようという気持ちが」
常総学院の強力打線を8回途中まで1失点に抑えた猶明光絆投手も、野球ができることへの感謝を1球1球に込めた。
元日は高岡市にある祖母の家にいた。その後、実家のある氷見市に戻るつもりだったが、氷見市は地震によって断水の被害が出たため、そのまま祖母の家に残った。
「練習できなくてつらかったですし、悔しさもありました」
体幹トレーニングやランニングなど、今できる練習を自らに課すしかなかった。
猶明は地震によって野球への向き合い方が変わった。