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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「だから勝てないんですよ!」小林繁は激怒した…阪神の“レジェンド”川藤幸三が振り返る“ダメ虎”だったあの頃「暗黒時代はな、喜びがないねん」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/03/26 11:01
OB会長として今年も虎に熱視線を注ぐ川藤幸三氏
「ようコバが言うとったんや」
カワさんは述懐する。79年に巨人から阪神に移籍してきた小林繁を「コバ」と呼び、3歳下のエースとは、なぜかウマが合った。チームが勝ったり負けたりだった83年のシーズン中、カワさんは小林から切り出された。
「だから、勝てないんですよ」
《なんでジャイアンツに負けるんですか? ジャイアンツとタイガースのメンバー比べて、個々で負けます? おっさん、このチームで優勝できん方がおかしいでしょう》
そう言って、小林は巨人に在籍していた7年間について話し始めた。
《僕が入った時、あの長嶋さんや王さんでさえも、組織の一員なんですよ。ところが阪神に来て分かりました。組織はありません。みな、一人ひとりの個性があまりにも強烈で「俺が俺が」くらいで、極端な言い方をすれば「俺がチームを作っとる」なんですよ。だから、勝てないんですよ》
小林は巨人の黄金時代であるV9最終年の73年に一軍デビューし、王貞治と長嶋茂雄のONを擁する絶頂期における、統率された組織の強さのなかで戦ってきた。片や、西の老舗球団は自由奔放。小林はこの時、「おっさん」と呼んで慕うカワさんに、バラバラな点を繫ぐ役割を求めたのだ。
黒子に徹した「カワさん」
「『よし、分かった、ワシは野手をまとめるから、コバ、お前はピッチャーをまとめろ』と言って。コバが辞めた2年後に優勝した。コバとよう話したんは、ジャイアンツの良さとタイガースの悪さやった」
日本一になった85年、カワさんは控えメンバーで31試合出場の打率.179にとどまったが、ずっと一軍にいた。実力の世界では考えられないが、吉田義男監督に「首脳陣と選手の間に入ってくれ」と求められていた。プレーヤーとしての思いを封印し、ムードメーカーとして黒子に徹した。
いま、カワさんはすべての選手を平等に見る。だが、かつての自らと重なり合う立場の選手への視線はひときわ温かい。
「去年もな、やっぱり原口や糸原。あそこらがなんだかんだ言っても、やっとったわ」