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格闘技PRESSBACK NUMBER
「彼は親友だった」あのピーター・アーツが号泣… “傷だらけの暴君”はなぜ戦い続けたのか? カメラマンの心が震えた「40歳、K-1最後の戦い」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2024/03/23 17:11
2010年の『K-1 WORLD GP』準決勝、絶対王者セミー・シュルトに猛攻を仕掛ける40歳のピーター・アーツ。この日がK-1での最後の戦いとなった
彼は是が非でもこのトーナメントで優勝したかった。若くして天国へ旅立った戦友への供養として、なんとしてもベルトを届けたかったのだ。
だからこそボロボロになりながらも、あれほど激しく、気持ちを前面に出して闘ったのだろう。思いが通じたのか、試合は続行され、アーツは判定で勝利した。
しかし、勝利の代償は大きく、準決勝への出場は不可能に。リングドクターの代表である中山健児医師がわざわざリングへ上がり、アーツの負傷の詳細を説明した。傷口の幅は5cm、深さは1cm。下手をすれば、骨が目視できるほどの重傷だったのではないか。
「タイミングにズレが…」撮影者が感じたアーツの衰え
2000年以降、アーツはK-1の第二世代ともいわれるアビディ、ステファン・レコ、アレクセイ・イグナショフなど、格下と見られていた選手にも敗北するようになる。
私は彼の初来日から、ほとんどすべての試合を撮影してきた。パンチ、キックを出す距離とタイミングは完璧に分かっていたつもりだ。しかしある時期から、「ここだ」と確信してシャッターを押しても微妙にズレが生じるようなった。こちらの予想よりもワンテンポ遅いのだ。酷な言い方をさせてもらうと、アーツの打撃には往年のスピードがなくなった。得意のハイキックも一撃必殺とはならなくなった。
無論、対戦相手に研究されたこともあっただろう。ただ、それ以上に深刻だったのは怪我が多くなったことだ。歴戦のダメージなのか、右足のすねが毎回のように割れ、激しく流血することが多くなった。ここは皮が非常に薄く、骨に近い部位だ。蹴りを得意とするアーツにとっては致命的なことだった。
2006年5月、長年のライバルで、デビュー3戦目に初黒星を付けられたアーネスト・ホーストが、ボブ・サップを相手に母国オランダでの引退試合をすることになった。同郷のアーツは地元テレビ局の解説として来場していたが、サップが試合開始1時間前に対戦を拒否。すると、ホーストの窮地を救うべくアーツがスクランブル出場を果たす。試合用のトランクスはシュルトから借りたという。
「僕はとにかくK-1やRIZINを助けたい気持ちが大きい。格闘家として全く迷いはなかったね」