1979年、江川事件で巨人から阪神へ電撃移籍した小林繁(当時26歳)。あの日、小林に何があったのか? / photograph by KYODO 1979年1月31日、巨人球団幹部らとの長時間の話し合いを終え、ホテルを出る小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1977年12月、記者会見でクラウンへの入団拒否を表明する法政大・江川卓。江川のプロ入り拒否は4年前に続き2度目となった(当時は阪急ブレーブス) ©JIJI PRESS 1978年11月22日、巨人がボイコット(手前左の空席)する中、開かれたドラフト会議。4球団競合の末、江川卓(法政大)の交渉権は阪神に ©JIJI PRESS 1979年1月31日、阪神入団を発表する江川卓投手。右は阪神の小津正次郎社長 ©JIJI PRESS 1979年1月31日、巨人を退団、阪神入りを承諾し記者会見に臨む小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1979年4月7日、巨人入団を発表し、正力亨オーナーと握手する江川卓 ©JIJI PRESS 「起死回生:逆転プロ野球人生」(新潮新書)。戦力外通告、飼い殺し、理不尽なトレード……まさかのピンチに追い込まれた、あのプロ野球選手は人生をどう逆転させたのか? 野茂英雄、栗山英樹、小林繁、矢野燿大らのサバイバルを追う(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)

1977年12月、記者会見でクラウンへの入団拒否を表明する法政大・江川卓。江川のプロ入り拒否は4年前に続き2度目となった(当時は阪急ブレーブス) ©JIJI PRESS

この記事を読む

1979年、江川事件で巨人から阪神へ電撃移籍した小林繁(当時26歳)。あの日、小林に何があったのか? / photograph by KYODO 1979年1月31日、巨人球団幹部らとの長時間の話し合いを終え、ホテルを出る小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1977年12月、記者会見でクラウンへの入団拒否を表明する法政大・江川卓。江川のプロ入り拒否は4年前に続き2度目となった(当時は阪急ブレーブス) ©JIJI PRESS 1978年11月22日、巨人がボイコット(手前左の空席)する中、開かれたドラフト会議。4球団競合の末、江川卓(法政大)の交渉権は阪神に ©JIJI PRESS 1979年1月31日、阪神入団を発表する江川卓投手。右は阪神の小津正次郎社長 ©JIJI PRESS 1979年1月31日、巨人を退団、阪神入りを承諾し記者会見に臨む小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1979年4月7日、巨人入団を発表し、正力亨オーナーと握手する江川卓 ©JIJI PRESS 「起死回生:逆転プロ野球人生」(新潮新書)。戦力外通告、飼い殺し、理不尽なトレード……まさかのピンチに追い込まれた、あのプロ野球選手は人生をどう逆転させたのか? 野茂英雄、栗山英樹、小林繁、矢野燿大らのサバイバルを追う(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)

ページトップ