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「佑二、お前が悪いわけじゃない」岡田武史がいま明かす13年前W杯“キャプテン交代”秘話「正直覚悟したよ。長谷部が無理って断ってきたら…」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJMPA
posted2024/02/27 17:00
2010年南アフリカW杯本大会直前、日本代表のキャプテンは中澤佑二から長谷部誠(左)に替わった。その真相を当時の監督・岡田武史が明かした
“生みの親”である岡田は67歳になった今も精力的で、日本サッカー協会副会長、FC今治会長に加えて、4月に開校するFC今治高校里山校の学園長として忙しい毎日を送っている。15年近く前の英断の理由をあらためて尋ねると、長谷部ではなく、まず中澤の名前を口にした。
「ゲームキャプテンまで交代させたのは別に佑二が物足りないとか、不安だからとかじゃない。俊輔と楢崎を外すと決めたとき、彼らとずっと一緒にいた佑二がこれまでのように明るく振る舞えるのかって考えた。日にちがない状況で、もしそうなってしまうとチームにとって命取りになってしまう。戦い方もゲームキャプテンも腹を括ってまとめて変えたのは、何よりもチームに“変える”ってことを強調したかったんだ」
変化によってパワーを生み出す。しかし中澤の次を誰にやらせるかまで考えられていなかった。とはいえぼんやりと長谷部の顔は浮かんでいた。
「正直、次に任せられそうなヤツがいなかった。キャプテンはロイ・キーンみたいに強烈な個性を持ってみんなを引っ張っていく選手がいれば一番いいんだけど、なかなかいない。そのなかで長谷部は試合中、結構声を出していた。ヤット(遠藤保仁)は全然出さないけど(笑)。コーチからも『長谷部がいいんじゃないですか』という声があったし、あのときのチームに欲しかったのは落ち着きよりも元気。アグレッシブにプレーできて、声を出せて、鼓舞できて。そして若いということもあって、じゃあ長谷部で行こうと決めた」
ふと頭をよぎったフランスW杯の経験
若手というのも実は隠されたポイントだった。23人のメンバーのうち、26歳の長谷部は下から数えたほうが早かった。同じ学年は一人もおらず、下は本田圭佑、長友佑都ら5人だけ。後は代表キャリアを積み上げてきた先輩が並ぶというチーム構成だ。それでも長谷部にキャプテンマークを巻かせたのは、指揮を執った'98年フランスワールドカップの経験がふと頭をよぎったからだった。
“ジョホールバルの歓喜”でワールドカップ初出場を決めたチームをキャプテンとして束ねたのがベテラン井原正巳である。無論、彼に対する信頼は最後まで揺らぐことはなかった。ただ本大会に入っていく過程を眺めたときに、ふと感じたことがあった。
「ワールドカップが近づいていくにつれて若いヒデ(中田英寿)や城(彰二)がぐんぐん成長して、攻撃では彼らがイニシアティブを持つようになっていた。紅白戦の合間なんかにチームメイトに対しても意見を主張していた。大会が終わってからだけど、思い切ってどこかでヒデにキャプテンを任せてみるのも選択肢としてはあったのかなと考えたこともあったよ。南アフリカのときも若い本田、長友たちが成長してきて、全体のパワーバランスが変わりつつあると感じた。チームというのは生き物。このタイミングならどうすべきなのかと考えたのも事実だった」
「申し訳ないが…納得してほしい」
岡田はまず断腸の思いで中澤にゲームキャプテン交代を告げている。