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“闘将”柱谷哲二はなぜ、大谷翔平の母校・花巻東を指導しているのか? 30年前の日本代表主将が明かすリーダー論「いったい、キャプテンって何だ」
text by
北條聡Satoshi Hojo
photograph byNanae Suzuki
posted2024/02/21 17:00
現在は岩手・花巻東高サッカー部のテクニカルアドバイザーを務める柱谷
「子供の頃は何でも一番になりたいと思っていたんですよ。勉強以外は。キャプテンは一番という感じがしてね。何しろ、一番うまいやつがキャプテンをやる。そういう時代でしたから」
あえて言うなら、自分ファーストのキャプテンだった。日産自動車でプレーするようになってからは横山謙三監督時代の日本代表で何試合かゲームキャプテンを務めた程度。それが代表史上初のプロ監督となるハンス・オフトの指名で正式にキャプテンとなった。光栄に思う反面、不安もあったという。自分にできるかどうかと。国士舘大時代の苦い記憶があったからだ。
読売クラブと日産自動車の二大派閥とその他――である
「自分がキャプテンになった年にリーグ戦で勝てなかった。それまで連覇をしていたにもかかわらず。その時に『いったい、キャプテンって何だ』と考えさせられて……。その答えが見つからぬまま、社会人になったんです。で、オフトから大役を任され、改めて真剣に考えました。キャプテンとはどうあるべきかと。大学時代は自分独りが突っ走って、誰もついてきていなかった。そこで自分ファーストを改め、チームファーストに徹しようと思ったんです」
オフトからの注文はほとんどなかったという。唯一の例外が3つのグループを1つにまとめること。読売クラブと日産自動車の二大派閥とその他――である。それぞれに偏らず、何でも言い合えるグループにするための取り組みが始まった。
「食事の時なんか、放っておくと、いつものメンバーになってしまう。顔ぶれが一向に変わらない。そこで井原(正巳)やゴン(中山雅史)、福田(正博)たちを捕まえて『少し早めに食事会場に行って、バラけるようにしてほしい』とお願いしてね」
井原、中山、福田の3人とはB代表の頃から同じ釜の飯を食った間柄。少しだけ年の離れた後輩であり、何かと頼みやすかったという。そればかりではない。彼らの協力を仰ぐために、理を説くことも忘れなかった。
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