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「監督を取るか、女を取るか」野村克也はこうしてクビになった…沙知代のお説教「アンタ、なに教えてんのよ!」愛弟子が見たノムさんの素顔

posted2024/02/13 11:04

 
「監督を取るか、女を取るか」野村克也はこうしてクビになった…沙知代のお説教「アンタ、なに教えてんのよ!」愛弟子が見たノムさんの素顔<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

野村克也と沙知代夫人(写真は90年代、ヤクルト監督時代)

text by

沼澤典史

沼澤典史Norifumi Numazawa

PROFILE

photograph by

Sankei Shimbun

南海、ヤクルト、阪神、楽天を監督として率い、歴代5位の1565勝を挙げた野村克也が亡くなってから4年が経った。偉大な指揮官としての一面がクローズアップされがちだが、若き日の選手兼任監督時代の野村は、印象がガラリと変わる。南海時代の野村にドラフト1位指名されてプロ入り(1970年)した佐藤道郎に、野村が解任されるまでの8年間を聞いた。【全3回の後編/前編中編も公開中】

◆◆◆

「俺はこういうのが好きなんだよ」

 グラウンド以外でも、佐藤道郎はよく野村克也の野球談義に付き合った。夜の街に繰り出そうかというときに、野村と宿舎のロビーで鉢合わせしてしまい、飲みにいけなくなることもあったそうだ。

「野村さんとの食事のときは、ピッチャーの爪は伸びすぎても切りすぎてもダメだとか、ランナーが出ているときのクイックモーションの重要性とか、野球の話ばっかり。大体の話は、私が日大三高時代に教わっていたことが多かったんですが、『それ習いましたよ』とは言えない。だから、『なるほど、監督、そうなんですか』と言うしかないんですが、すると野村さんも気分良くなって、また話が長くなるんですよ」

 そんな佐藤を気に入ったのか、プライベートな食事でも、野村は佐藤に声をかけることが少なくなかった。

「急に野村さんが『ミチ、今日のお前んちの飯はなんだ。俺も行っていいか』と尋ねてきたことがありました。いいですよ、と答えて、私が住んでいるマンションの近所5家族くらいが集まって食事をしたんです。庶民的な漬物とかおでんとかを持ち寄ってね」

 野村は佐藤のマンションに、当時の愛車リンカーン・コンチネンタル マークIIIを乗り付けてやってきた。南海のチームカラーである緑色に塗られた巨大な車体に、マンション住民はどよめいたという。

「ベントレーやリンカーンなど高級車に乗っていた野村さんですが、『俺はこういうのが好きなんだよ』と漬物やおでん、納豆をうまそうに食べるんです。当時はマミー(沙知代の愛称)とのホテルディナーが多かったけど、本当はこういうのが好きだと。野村さんは元々田舎育ちだから、そういう庶民的なものが好きなんでしょうね」

沙知代のお説教「こんな監督だから…」

 野村から演劇に誘われたこともあった。そこで佐藤はグラウンド外での、野村のスター性を見たそうだ。

【次ページ】 沙知代のお説教「こんな監督だから…」

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