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野村克也監督「お前、カネもらってんのか?」野球賭博で警察官がファンを現行犯逮捕…ノムさんの愛弟子が語る「昭和のプロ野球がヤバかった」

posted2024/02/13 11:02

 
野村克也監督「お前、カネもらってんのか?」野球賭博で警察官がファンを現行犯逮捕…ノムさんの愛弟子が語る「昭和のプロ野球がヤバかった」<Number Web> photograph by AFLO

南海ホークス時代の野村克也。1954年にテスト生で同球団に入り、1970年~1977年までは選手兼任監督を務めた

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沼澤典史

沼澤典史Norifumi Numazawa

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AFLO

球界を代表する打者であり、捕手であり、監督だった野村克也が亡くなって、4年が経った。野村についてのエピソードは数々あるが、今回は南海時代の野村からドラフト1位指名された鉄腕投手・佐藤道郎に、知られざる野村との思い出を語ってもらった。【全3回の前編/中編後編も公開中】

◆◆◆

「毎月、赤字だよ」

 2020年2月11日に亡くなった野村克也。戦後初の三冠王に輝いた選手としての実力はもちろんのこと、監督時代に提唱したID野球など球界に残した功績は多大である。

 野村のキャリアは南海ホークスから始まり、1970年から1977年までは同球団で選手兼任監督も務めた。そんな野村の選手兼任監督1年目にドラフト1位として南海に入団したのが、佐藤道郎である。野村が1977年に退団するまで8年間ともにプレーした佐藤に、野村とのエピソードを聞いていこう。

 1947年、東京生まれの佐藤は、日大三高から日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは、4年時に年間16勝を記録し、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインを2季連続で獲得する。さらに、アジア野球選手権大会に日本代表として出場し、MVPを受賞するなど華々しい結果を残し、見事南海に1位指名されるのだ。

 その後、佐藤はパ・リーグ初の最多セーブ投手のタイトル(1974年に新設)を獲得するなど、南海ホークスの鉄腕として鳴らす。現役引退後はロッテや中日、近鉄で指導し、村田兆治を復活させ、吉井理人、吉見一起などの投手を育てた名コーチとなる。現在は「毎月、赤字だよ」と野村ばりにボヤきつつ、学芸大学駅前で会員制スナック「野球小僧」を経営している。

「息子さんを1位指名させていただきました」

 佐藤と野村の最初の出会いは、ドラフト会議当日だった。当時のドラフトを佐藤はこう振り返る。

「当時はプロ志望届の提出なんてなかったし、ドラフト会議のテレビ中継もないから、記者から『ドラフト上位にかかりそうな人は家にいてください』と言われました。私自身、ドラ1とは思わなかったですが、東都で連続優勝したし、アジア大会でもMVPだから上位に入れるだろうと思っていました。中野の自宅で待っていたら、南海から1位指名したという電話があり、これから野村監督が直々に挨拶に行くということでした。あの野村克也が来るとあって、両親は『寿司や刺身を準備しないといけない』と大慌てでしたよ」

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