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引退・本田真凜に浅田真央33歳が何度も伝えていた“気遣いの言葉”…後輩スケーターたちに現在も与え続ける影響「マナーの面でも手本だった」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byL)Asami Enomoto、R)AFLO
posted2024/01/18 17:00
現役引退を表明した本田真凜と、良き先輩であり続けた浅田真央
宇野昌磨を導いた浅田「フィギュアスケートをしようよ」
振り返れば、浅田が影響を与えたのは本田だけに限らない。
例えば宇野昌磨がいる。
宇野が大須スケートリンク(名古屋)のスクールでスケートに励む中で、フィギュアスケートとアイスホッケー、スピードスケートのうち、どのコースに進むのかを選ぶときが来た。
宇野が選んだのはフィギュアスケート。きっかけは、その頃大須で滑っていた浅田のひとことにあった。
「フィギュアスケートをしようよ」
もちろん宇野自身が「やりたい」と決めたことだが、浅田の言葉も影響していただろう。
浅田真央は“マナーの面でも”お手本だった
それだけにとどまらない。
数多くの利用者がいるリンクでは、例えばジャンプの練習をしたくてもなかなかできないことがままあった。それがために氷を蹴ったり八つ当たりする子もいる中、浅田はそういう態度を見せなかったという。宇野も当時からマナーがきちんとしていたことは知られているが、手本たる浅田の存在もあったはずだ。
宇野は少しでも長く練習したいことから、朝から行けるときはリンクのオープン前から受付に並んだ。
日によっては、一番乗りを目指す列のなかには宇野だけでなく、浅田あるいは村上佳菜子もいた。年代を超えて切磋琢磨したこと、彼らの関係性を思い起こさせるエピソードの1つだ。