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箱根駅伝優勝→実業団1年半で引退…東海大の優勝アンカーが明かす“箱根後の苦悩”「過去の自分と比較されるのは本当につらかった」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byWataru Sato
posted2024/01/21 06:01
2019年、東海大の箱根駅伝初優勝のゴールテープを切った郡司陽大。現在は競技から身を退いた本人が明かす引退の決断まで――。
「1年目は、中学の時のタイム(1500m)よりも遅くて、ヤバかった(苦笑)。でも、別メニューを続けていたら、ようやく状態が上向きになったんです。そうしたらチームから練習に合流するように言われて。僕は調子が戻るまでもう少し自分の練習を継続したいと言ったんですけど、『みんな、この練習をやっているんだから』って言われて……。何も言えずに中途半端な状態のまま合流したので、ストレスは溜まる一方でした」
ストレス解消のため、暴飲暴食に走った。
好きなものを制限せずに食べると見る見るうちに体重が増えて行った。夜、眠れなくなり、ウイスキーの角瓶を買い、それをロックで飲んで寝た。酒で眠れなくなると病院で睡眠導入剤をもらい、それを酒で流し込んだ。気持ち悪くなって嘔吐し、体調が悪いまま走りに行った。
今の自分を見てもらえないもどかしさ
スタッフも信頼できなくなっていた。
ある日、走っている間にエアコンの検査でスタッフが部屋に入ったが、酒が置いてあったのが見つかり、咎められた。それからスタッフに会うのがいやになり、隣のスタッフ部屋のドアが開閉する音だけで息苦しくなった。
「隣のスタッフのドアの音がするだけで自分の部屋をノックしてくるんじゃないか、隣でコップを壁に当て耳をつけて……と、監視されているんじゃないかって思うと、すごく怖かった」
ボロボロになった心と体をひきずって実家に帰ると、「あんた、ちゃんとやっていないでしょ」と叱責された。みんなの期待に沿えるように頑張っているのだが、いつも返ってくるのは、「大学時代は頑張っていたのに」という言葉だった。
「実業団で、できないなりに頑張っているのに、大学時代の自分と何が違うのって思っていました。でも、親には、酒飲んで逃げて帰ってきたとしか見えなかったんでしょうね。今の自分を見てもらえず、過去の自分と比較してあれこれ言われるのは本当につらかった」
もう立ち直れないな
次第に家族でさえも敵だと思うようになった。自分がいる場所はどこにもないと感じた。走りにいくとしばらくバイパスから高架下の道路をジッと見ていた。線路の前に座って電車が行き来するのを何時間も見ていたこともあった。