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「ヤバい、俺死んじゃうかも」5年生存率50%以下の闘病生活を乗り越えたプロスノーボーダー・荒井daze善正の再生物語「俺がもし生き残ったら…」
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/01/26 11:01
難病を克服し、社会貢献活動に邁進するプロスノーボーダーの荒井daze善正氏
「私、そんな軽い気持ちで付き合ってないから! さっさと病気治して幸せにしてくれる?」
それ以外にもひどく怒られた記憶はあるが、そのセリフだけは今もはっきりと耳に残っている。病気に打ちひしがれていた荒井の目を覚まさせてくれた一言だった。
「勝手にテンション上げて病気に負けた気になってたのは俺だけで、彼女はなんとかしようと思ってくれていた。そこから、この病気を克服してプロスノーボーダーとしての生活を取り戻さないといけないと思うようになりました」
「ここにいると死んじゃうな」
この病気を治すための唯一の治療法は骨髄移植だった。
がんセンターでは治療はできないので、と元の病院の担当医宛に手紙を書いてもらった。ところが、その担当医の反応はのん気なものだった。
「大変な病気になっちゃいましたねえ。ちょっと様子をみましょうか」
「いや、すぐに移植を受けたいんですけど」
「いやいや、移植なんて最後の奥の手ですから。まだ様子をみましょう」
DAZEはいてもたってもいられなかった。5年生存率は50%以下。悠長にしている時間はないのだ。
「ここにいると死んじゃうな」
そう感じて自ら行動を起こすことにした。
「インターネットが普及し始めた頃で、調べていたらたまたま論文を見つけました。慢性活動性EBウイルス感染症研究会に参加している先生が東京医科歯科大学附属病院にいたんです」
その先生の名は新井といった。ただし、伝手はない。紹介状もない。仕方がないのでとにかく大学に電話をかけてみた。すると、電話口の人がわざわざ先生の携帯電話まで繋いでくれた。同じアライだから親族と勘違いしたのだろうか。理由はわからなかったが、すぐ相談できたのは幸運だった。
新井先生にはこう言われた。
「私が予約を入れるからすぐに来てください。前の先生には私から話してデータを引き揚げます」
新井先生は体力があるうちにすぐに移植手術を受けるべきだと勧めてくれた。DAZEも「この先生なら」と信頼を寄せ、治療を任せることにしたのだった。
骨髄バンクに患者登録。しかし…
しかし、そこから先も事態はなかなか進展しなかった。ドナーが見つからないのである。
移植を受けるためには、白血球の型が一致するドナーが必要になる。兄弟姉妹であれば4人に1人の適合率とされているが、残念ながらDAZEは兄とは一致しなかった。血縁関係がなければそのハードルは数百人から数万人に1人と一気に高くなる。DAZEは患者とドナーの橋渡しをする仲介組織である『骨髄バンク』の存在を教えてもらって患者登録した。それしか道はなかった。