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兄を見た瞬間「キツさがなくなった」…箱根駅伝7区「兄弟給水」で区間賞、中大・吉居駿恭が告白する“絶望からの復活劇”「箱根は走れないかと…」
posted2024/01/13 06:00
text by
加藤秀彬(朝日新聞)Hideaki Kato
photograph by
Naoki Kitagawa
昨年12月15日。中央大学多摩キャンパスであった箱根駅伝の事前会見。
吉居駿恭(2年)は希望する出走区間についてこう語った。
「監督が7区を重要な区間に上げているので、走りたい気持ちはあります」
藤原正和監督は、第100回の箱根駅伝で優勝するためには7区が勝負どころと見ていた。エース級が配置される往路で多少リードを許しても、僅差でつなげば、7区から逆転のチャンスがある。そういう見立てだ。
その思いを汲んだ吉居の言葉にうそはなかった。
ただ、同時に、言葉には出さなかった漠然とした不安も募らせていた。
「たぶんもう自分は箱根を走れないんじゃないかな」
走るのが怖い
吉居は箱根駅伝を1カ月前に控えた12月上旬、絶不調に陥っていた。
11月5日にあった全日本大学駅伝までは、得意の5000mや10000mといったトラックに向けた練習が中心だった。ただ、ハーフマラソンの距離になる箱根となれば、もっと長い距離の練習をする必要がある。全日本の後はトラックの記録会にも出場せず、「箱根仕様」に仕上げようと努めていた。なのに、全く調子が上がらなかった。
「12月上旬の合宿では、21kmぐらいのハーフの距離を走っても全然ダメ。5kmのインターバルも1本目からたれてしまいました。ショックで、日常生活でも平常心ではいられませんでした」