箱根駅伝PRESSBACK NUMBER

箱根駅伝の後に1年以上の不振…田母神一喜25歳が振り返る、“中距離→箱根駅伝挑戦”の代償「競技的にはマイナスでした。でも…」 

text by

小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2024/01/07 06:02

箱根駅伝の後に1年以上の不振…田母神一喜25歳が振り返る、“中距離→箱根駅伝挑戦”の代償「競技的にはマイナスでした。でも…」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2年の秋に退寮し、駅伝チームとは関わりがほぼなくなっていた中距離メインの田母神。しかし、4年時は主将として箱根駅伝を迎えることになる

「振り返ると、競技的にはマイナスでしたね。リズムの取り方が変わって、スピードがまったく出なくなってしまったので。準備期間が1年とか2年あればまた違う方法も考えられたんですけど、あの時はスピードを殺してでも1km3分でひたすら長い距離に慣れることしかできなかった。ちょうど厚底シューズが出た頃で、足を落とせば前に進むんですけど、中距離はその接地時に力を出す。感覚を取り戻すのが本当に大変でした」

正直、箱根には何ひとつ良い思い出がないけど…

 長いスランプを脱し、日本選手権の800mで初めて日本一になったのは2021年のことだ。

 現在は、さらなる記録の更新を目指して競技を続ける一方で、ランニングイベント団体「IIIF (スリーエフ)」の代表も務める。自身の練習はもちろん、地元福島を中心に様々なランニングイベントを企画し、ジュニア層にも指導を行うなど、多忙な毎日を送っている。きっと、あの4年間が糧になっているのだろう。

「でも、こうやって経営をしつつ選手をやるのが、こんなにも難しいことだと思ってなくて……。陸上を通して福島に雇用を生み出すのが目標ですが、今はまだ勉強することばかりです。正直、箱根に関しては何ひとつ良い思い出がないけど、中大での4年間には本当に感謝の思いしかない。中大に入って良かったと、心から思いますね」

舟津とは「今は仲が良いです」

 年々成績を伸ばし、今や中大は強豪校の一つ。今年の箱根駅伝では惜しくもシードを逃したが、昨年は総合2位を達成した。躍進の理由は様々あるだろうが、その礎には間違いなくあの日の叫びがある。強くなりたいと願い、行動を共にした2人のルーキー。激しく喧嘩したこともあったが、その舟津とは「今は仲が良いです」と笑う。

 競技面では、2人は今も良きライバルだ。田母神が栄光を手にした2021年の日本選手権で、舟津は1500mで3位に入っている。25歳という年齢を考えれば、まだお互いに自己記録を伸ばすことは十分に可能だろう。

 競技者と経営者という二足のわらじを履いて、田母神はせわしなく東京と福島を行き来する。その表情は充実感に満ちていた。

田母神 一喜(たもがみ・かずよし)

1998年2月12日、福島県生まれ。学法石川を経て、中央大学に入学。中距離選手として活躍する一方で、2020年の箱根駅伝にエントリーされる。卒業後、阿見アスリートクラブのトップチームSHARKS加入。2021年日本選手権800mを優勝。2022年に阿見アスリートクラブを退社、「Fun From Fukushima」から取ったⅢF(スリーエフ)を起業

#4に続く
「お前はやるべきじゃない」と言われても…800m日本王者は、なぜ箱根駅伝(約20km)に挑んだ? 田母神一喜が語る“異例の転向”の真相―2024上半期読まれた記事

関連記事

BACK 1 2 3
田母神一喜
中央大学
藤原正和
舟津彰馬

陸上の前後の記事

ページトップ