箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「お前らは中大の恥だ」という電話も…箱根駅伝の名門“まさかの予選落ち”、1年生主将&副主将が直面した伝統校の重責「誹謗中傷はかなりありました」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byNanae Suzuki
posted2024/01/07 06:00
2016年、箱根駅伝予選会で予選落ちし、報告会で下を向く選手たち。1年で副将を務めた田母神一喜に当時の話を聞いた
「入部した次の日に集まりがあって、明日から監督が代わりますって。4年生やコーチ陣も知らなかったみたいで、わりと混乱してました。でも、僕たち1年生は何も知らないから、チームがどう変わるんだろうってワクワクしたところもあったんです」
監督に「もうついていけません」
当時の中大はチームの再建が待ったなしの状況だった。箱根駅伝は4年連続でシード落ち。かつては箱根で6連覇、優勝回数も最多の14度を誇る名門だけに、低迷が続く状況を看過するわけにはいかなかった。
その一手として、OBでもある藤原監督が新たに就任する。だが、2カ月後の全日本大学駅伝の選考会でまさかの落選。チームは出だしで大きくつまずいてしまう。
直後に選手ミーティングが開かれたが、ぬるい空気のまま終わった。それが混乱に拍車をかけた、と田母神が苦い表情で振り返る。
「中大って良くも悪くも伝統を重んじる大学で、僕らが入った頃はわりと理不尽なルールが残っていたんです。それで結果が出ているならわかるんですけど、僕たちはあまり意味がないと思っていて。それで全日本に出場できなかったときに、監督がチームが変われるような改善点を出すように4年生に言ったんですね。そうしたら、4年生はキャプテンを替えて、これでやっていきますって。期待した改善策は何も語っていただけなかった。舟津(彰馬)と僕はそれにけっこう怒っちゃって、『もうついていけません』って話を監督にしたんです」
あの時は僕と舟津がけっこうイケイケだった
ある意味、ルーキーの田母神らと新監督の見方は、悪しき伝統に染まっていないという点で一致していたのだろう。規律のゆるさ、覚悟のなさを感じ取った監督は、荒療治でチームを立て直そうとした。翌7月に、監督は1年生の舟津を新たな駅伝主将に指名する。田母神も副将を任された。入部してまだ間もないルーキーに主将と副将を任せるなど、前代未聞のできごとだった。