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プロ野球PRESSBACK NUMBER
33歳で戦力外通告…お先真っ暗だった“巨人右腕”はなぜ「年商160億円の社長」に転身できたのか? 第二の人生で「勝ち組」になった話
text by
松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph bySankei Shimbun
posted2023/12/30 11:02
“昭和最後のドラフト”で巨人に2位指名を受けた松谷竜二郎
横須賀スタジアムから車で横浜横須賀道路を走ると、緑に囲まれた景色が静かに流れていく。普通にハンドルを切るのにも痛みが走り「これで終わりやな」と感慨深く思いながら車を停め携帯を手にした。巨人の二軍時代に監督だった末次利光(元巨人)に電話をし、用件を端的に言う。
「近鉄をクビになり横浜のテストを受けたんですが無理だったので、何かスカウトかスコアラーといったフロントのお仕事を紹介していただけないでしょうか」
藁にもすがる思いで頼んだ。
末次はウンウンと合いの手を入れながら聞いている。
「わかった、ちょっと待っとけ。また連絡する」とだけ言って電話を切られた。
松谷は期待して電話を待っていたが、一向にかかってこない。
「まあ、この時期だし難しいやろうな……」と半ば諦めかけていたときだ。
暮れも差し迫ったクリスマス前に、末次から電話がかかってきた。
「台湾に行ってテスト受けに行って来い」
「明日、新宿来てくれるか!」
飯でも食いながら野球関連の仕事について何かしらの話をするのだろうと思い、松谷は一年の垢を落とす気持ちで待ち合わせ場所に向かった。場所は、新宿プリンスホテル内の中華料理店。そこには、末次と見知らぬ中年のおっさんがいる。台湾統一ライオンズの渉外担当だった。
末次は単刀直入に言う。
「おまえ、来年早々、台湾に行ってテスト受けに行って来い」
藪から棒に何を言うかと思い、松谷は一瞬固まった。
「末次さん、ちょっと待ってください。この間も話しましたが肩が痛くて投げられない状態です。箸を持つのも痛いくらいですよ」
「大丈夫や。ちょちょっと行って放ってくればいいから」
いやいや、その辺の公園でキャッチボールするのと訳が違うし、まず肩が痛くて投げられないって言ってるのに……。でも末次も良かれとしていることだし、これ以上何か言っても仕方がないと思い、素直に言うことを聞いた。