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箱根駅伝「史上最高の2区」はこうして生まれた…中央・吉居大和、駒澤・田澤廉、青山学院・近藤幸太郎による“三つ巴の激闘”のウラ側 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/01/04 11:03

箱根駅伝「史上最高の2区」はこうして生まれた…中央・吉居大和、駒澤・田澤廉、青山学院・近藤幸太郎による“三つ巴の激闘”のウラ側<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2023年の箱根駅伝“花の2区”。中央大・吉居大和、駒澤大・田澤廉、青山学院大・近藤幸太郎による「三つ巴」の名勝負となった

 ひとりで逃げるよりも、ふたりで追いかけた方が強い。おそらく近藤と吉居の走りがシンクロしたのだろう、中継点が迫るにつれて田澤との距離が縮まり、ついには三つ巴が形成される。

吉居大和「近藤幸太郎君が一緒に行こうと言ってくれて」

 このまま中継所になだれこむのか……と思っていた瞬間、吉居が飛び出した。どこにこんな力が残っていたのかという勢いで。吉居はこれで区間賞を獲得する。2022年の1区での飛び出しに加え、本当に駅伝に強い選手だ。

 そして苦しそうだった田澤も粘って、粘って、近藤に先着して2位でたすきをつないだ。運営管理車の大八木監督からは「ご苦労さん!」という声が飛んだ。

 レース直後のテントの様子を映した映像でも、田澤は咳をしていた。当時もコロナは後遺症というか、病み上がりの期間が長いといわれていたが、とても万全の状態ではなかったことがうかがわれた。そこに近藤がやってきて、「コロナだった?」と声をかけ、田澤がうなずいていた。満足に練習がつめない状況で、よくぞあれだけ粘れたものだと感心してしまった。

 田澤にとって駒澤のユニフォームを着た最後の駅伝を、大八木監督は運営管理車からどう見ていたのか。

「12月に田澤がコロナになって、どうにかこうにか練習ができるようになりましたけど、正直、多くを望んではいけないと思ってました。だからもう、最後の田澤の頑張りには感謝しかありませんよ。田澤が3年の時は、『行け、行け、行け、ここからだ!』と発破かけてましたけど、最後の箱根ではもう、『ありがとう』という気持ちでいっぱいでね」

 いま書いていて思うのは、このレースは数々の偶然が重なった奇跡だったと思う。

 まずは1区の流れだ。2位でたすきをつないだ駒澤から9秒差で中央、そこからわずか2秒差で青山学院が続いた。

 そして「きっと、1区か3区」と思っていた吉居大和が2区に投入され、快調に飛ばしたこと。そして中学時代からクラブの仲間として一緒に練習していた吉居と近藤が並走するタイミングになった。走った後の吉居のインタビューには実感がこもっていた。

「きつくなってきたところで、近藤幸太郎君が一緒に行こうと言ってくれて」

 近藤幸太郎「君」というのが、なにか甘酸っぱい感じがして、とてもよかった。吉居にとって近藤が救いの神だったことは間違いなく、藤原監督も、「あそこで近藤君が来なかったら、大和は後半にもっときつくなっていたかもしれません。ウチとしては助かりました」と振り返っていた。

【次ページ】 あらゆる要素が絡み合って、史上最高の2区は生まれた

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