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20歳で驚きの引退“あのDeNA選手”はホテル清掃アルバイトを経て…田部隼人が語る“その後”「逃げちゃったのは自分」「初めての履歴書作成」 

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井上幸太

井上幸太Kota Inoue

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posted2023/12/28 06:04

20歳で驚きの引退“あのDeNA選手”はホテル清掃アルバイトを経て…田部隼人が語る“その後”「逃げちゃったのは自分」「初めての履歴書作成」<Number Web> photograph by Kota Inoue

2022年シーズン終了後、高卒わずか3年の20歳でプロ野球引退を決断した元DeNA・田部隼人さん。初めて語る「その後」

「元プロ野球選手だった息子さんは、そういった事業に興味はないか」。提案したのは株式会社Scalehack(スケールハック)の玉城敦也だった。自身も名門・鹿児島実高でサッカーに打ち込み、主力選手として全国大会出場を経験。大学でもサッカーを続けた元アスリートである。

 高校時代に複数のJリーグクラブから入団を打診される有望株だったが、大学時代の故障でプロ入り、競技続行を断念した。そうした過去から、アスリートのキャリア支援に関心をもち、所属する会社で22年途中から事業化にこぎつけた。

初めての「履歴書作成」「面接」…

 田部が玉城との出会いを振り返る

「自分が感じていた、今までずっとやってきた野球が就職に生かされないことへのもどかしさを共感していただけて。アスリートのセカンドキャリアへのサポートができることに惹かれました」

 事業の中核を担っているとはいえ、玉城も一社員。自身の一存では入社が決められないため、田部は一般の入社希望者と同じように採用試験を受験した。人生初の履歴書作成、面接などの“就活”を経て、無事入社。23年8月からScalehackで勤務している。現在は直属の上司となった玉城の下、アスリートキャリア支援の企画から設計、マーケティング、営業まで担当。日々奔走している。

 かつては悩みの種だった「痩せやすい体質」も手伝って、体重は80キロを切った。生活も体型もプロ野球選手時代と一変したが、上達するために試行錯誤するのは変わらない。

「タイピングもできないまま入社しましたが、少しずつできることが増えていると思います。今も苦戦していますが、商品やサービスの魅力、自分の思いが伝わった実感を覚えたときの達成感、幅広い領域に携われている充実感は、すごくありますね」

アスリートの強み…とは?

 玉城は同僚となった田部の働きぶりに目を細め、こう期待する。

【次ページ】 プロ野球から「逃げちゃったのは自分」

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