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「イチローを止めることはできなかった」ボビー・バレンタインが明かす、1995年イチローの衝撃「もっと早くメジャーに行くべきだった」
text by
ボビー・バレンタイン&ピーター・ゴレンボック"Bobby" Valentine&Peter Golenbock
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/12/09 06:01
1994年にシーズン200本安打を達成したイチロー。翌シーズンにロッテの監督となったバレンタインはイチローを見て驚愕した
我々のシーズンはスムーズに進んだ。NPBのパシフィックリーグには6つのチームがあった。その6チームは2つの評価を受ける。シーズン終了時に上位につけた3チームはAクラス、4位、5位、6位の下位3チームはBクラスと称される。千葉ロッテは9年連続でBクラスだった。
2位だったチームの主力メンバー
1995年シーズン、我々はAクラスに復帰した。イチロー擁するオリックス・ブルーウェーブに次ぐ2位だった。我がチームの打撃陣のスターはサードの初芝清で、ホームラン25本、打点80をマークした。セカンドの堀幸一は、打率3割9厘でリーグ2位、ホームラン11本、67打点、そしてフリオ・フランコは打率3割6厘、ホームラン10本、58打点、11盗塁の成績だった。投手陣では、私が指揮したノーフォークでプレーしたエリック・ヒルマンが12勝9敗、防御率2.87、伊良部秀輝が11勝11敗、防御率2.53、29歳のベテラン小宮山悟が11勝4敗、防御率2.60と先発投手陣の中で輝かしい活躍をしてくれた。さらにブルペンでは、成本年秀が9勝3敗、防御率2.00、21セーブと抜群の成績を挙げてくれた。
<続く>
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