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「イチローを止めることはできなかった」ボビー・バレンタインが明かす、1995年イチローの衝撃「もっと早くメジャーに行くべきだった」 

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ボビー・バレンタイン&ピーター・ゴレンボック

ボビー・バレンタイン&ピーター・ゴレンボック"Bobby" Valentine&Peter Golenbock

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/12/09 06:01

「イチローを止めることはできなかった」ボビー・バレンタインが明かす、1995年イチローの衝撃「もっと早くメジャーに行くべきだった」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

1994年にシーズン200本安打を達成したイチロー。翌シーズンにロッテの監督となったバレンタインはイチローを見て驚愕した

 イチローを止めることはできなかった。私のチームには、私がアメリカから連れてきた身長211cmの左腕エリック・ヒルマンという投手がいた。前年、彼はノーフォークで私の下でプレーしていた。これだけの高身長であれば、少なくとも他の投手との違いを感じるだろうと思っていた。だが、イチローは彼も打った。私は驚嘆した。彼は誰が相手でも打った。

バレンタインの震災の記憶

 1995年1月17日、私は成田空港に到着し、千葉ロッテ監督就任記者会見を開いた。会見には40人のマスコミが取材に来た。私は飛行機から降りると、良き友人で弁護士のフィル・ハーシュと共に会見場に連れて行かれた。会見の模様は日本全国で放送された。

 会見の最中、その日の早朝に、マグニチュード7・3の地震が神戸で起きたと聞かされた。高速道路が崩壊し、街全体が被害を受けたという。甚大な被害だった。偶然にも、我々の最初の試合は、イチローが所属するチームを相手に、被災地神戸で予定されていた。私は現地に向かい、被害の状況を目撃した。山の頂上から見下ろすと、見える範囲すべてに崩壊の後があった。木が車の上に倒れ、道路は通行できなくなっていて、トラックが道路の脇に横倒しになっていた。球場は丘の上に建てられていて最小限のダメージで済んだようだったが、球場につながるインフラはすべて遮断されていた。そのときは、わずか3ヶ月後にシーズンが開幕する頃には、球場に車で向かうどころか歩いて行くことすらできないだろうと想像していた。

我々のシーズンはスムーズに進んだ

 奇跡的に、そして驚異的に、この小さな国はインフラを再建し、我々は野球の試合を行うことができた。彼らは道路を補修し、球場を修復していた。どうやってこれだけのことをこんな短期間にやれたのか、私にはわからない。我々の最初の試合に向けて、バスで球場に向かった。すべてが再建されていただけでなく、高速道路はきれいに補修され、歩道も完全に元通りになっていて、私たちは神戸で開幕を迎えることができた。

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