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「オカダ戦でケガをしてなかったら、辞めていた」生存率18%からの復帰、柴田勝頼が“心の師”天龍源一郎に明かした闘病後の本音《対談実現》 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byAtsushi Hashimoto

posted2023/12/03 11:00

「オカダ戦でケガをしてなかったら、辞めていた」生存率18%からの復帰、柴田勝頼が“心の師”天龍源一郎に明かした闘病後の本音《対談実現》<Number Web> photograph by Atsushi Hashimoto

天龍源一郎と柴田勝頼。関係性の深い二人が語り合う特別対談が実現した

くも膜下出血の後遺症は…

天龍 くも膜下出血の後遺症みたいなものはないの?

柴田 ありますね。手術後、視界が狭くなって右半分がまったく見えなかったんですよ。いまも完全には治ってなくて、右下の4分の1は見えないんですけど。

天龍 俺と一緒だな。俺の場合は頸椎のケガで首を横に動かせないから見えないんだけどね。でも、柴田くんの場合は目の神経自体の問題なのか。

柴田 医者には「これ以上は治らない」って言われたんですけど、なんとか治したくて自分でいろんな治療をしてくれる人を探して。競走馬のケガを電気を流して治す治療法が効果があるというのを人伝てに聞いたんで、訪ねて行ったんです。頭に電気を流す装置を巻いて、治療はすごく痛いんですけど、見えるようになるならなんでもいいやと思って。

天龍 電気ショックだね。

柴田 それを続けることで、最初は右側がまったく見えなかったのが4分の3見えるまで回復したんですけど。もうこれ以上続けるとストレスのほうがすごくて。

天龍 苦しい治療だと思うよ。

柴田 それで今度は身体を動かすほうに切り替えて。ちょうどLA道場での指導が始まったので、自分が学んできたプロレスの基礎的なことを教えながら、自分自身もリハビリを兼ねて一緒にトレーニングしながらすごしてきましたね。

「やっぱり日本にいると周りの声が気になっちゃうんで」

天龍 よくコツコツと一歩ずつでもやっていったよね。普通は途中でギブアップだよ。日本の雑音から離れて、アメリカに行ったことも良かったのかな。

柴田 そうですね。やっぱり日本にいると周りの声が気になっちゃうんで、気にしたくなかったんですよ。自分のペースでやりたかったんで、タイミング的にはすごくありがたかったですね。

天龍 柴田くんが欠場中、ロスに行って海外の若手のコーチをやってるって聞いて、すごくいいシステムだなって思ったよ。じゃあ、ロスで教えた選手でいま新日本に来ているのもいるの?

柴田 けっこういますね。5~6人来てます。

天龍 たいしたもんだよ。柴田くんの弟子が、外国人レスラーとして新日本に上がるようになったんだ。

柴田 自分が若手を教えるのは初めてだったんですけど、来る奴らも(プロレスのトレーニングは)初めてだったんで、気合入れてやらなきゃいけないと思って、厳しくやってましたね。そこでぬるいところを見せるのは絶対にダメだし。

天龍 昔の新日本みたいな教え方をしたんだ。いまの日本のレスラーより、ロス道場の選手のほうが厳しく育ってるかもしれないね。

柴田 たぶん日本人より厳しく育てたと思います(笑)。しっかりとした強い精神を持ってると思いますね。

【次ページ】 柴田の告白「オカダ戦でケガをしてなかったら、辞めていたと思う」

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