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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「オカダ戦でケガをしてなかったら、辞めていた」生存率18%からの復帰、柴田勝頼が“心の師”天龍源一郎に明かした闘病後の本音《対談実現》
posted2023/12/03 11:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Atsushi Hashimoto
柴田勝頼にとって天龍源一郎は「心の師」でもある。両者の関係は、2004年に天龍が外敵として新日本プロレスに参戦した際、まだキャリア5年の柴田とシングルで対戦した時にさかのぼり、天龍は当時をこう振り返る。
「デビューしてまだ数年のアンちゃんが、俺の顔面を蹴り上げて、グーパンチ入れて来たから、頭にきてビール瓶で頭をかち割ってやったんだよ。それでもあいつは平然と向かって来たから、その時、『この野郎、いい根性してるな』と思ってね。そこから柴田という選手に対して、俺自身興味を持つようになったんだ」
天龍vs柴田のシングルは、’04年だけで3度実現。この闘いの中で、「新日本所属ではない天龍さんから、プロレスのなんたるかを教えてもらった」という柴田は、新日本の外にも闘いを求めるようになり、翌’05年に退団。フリーを経て総合格闘技にも参戦後、’12年8月に新日本に復帰すると、団体創業者アントニオ猪木流の「ストロングスタイル」を強烈に感じさせる存在としてトップの一角を担うようになった。
そんな柴田を天龍も高く評価し、自身の引退試合前、’15年9月に後楽園ホールで行われた天龍プロジェクトでのラストマッチで、最後のタッグパートナーに柴田を指名。天龍自身が現役生活の中で実践してきた、身体を張った妥協なき闘いの担い手として期待をかけた。
しかし’17年4月、オカダ・カズチカとIWGPヘビー級選手権で38分の死闘を展開した後、柴田はバックステージで昏倒。救急車で病院に搬送されると急性硬膜下血腫と診断され、そのまま緊急開頭手術。手術は成功したものの、長期欠場を強いられることとなってしまった。
この年『Number』で行われた「プロレス総選挙2017」で、柴田は長期欠場ながらファンの支持を集め7位に入賞。この時、インタビューを受けることができない柴田に代わりに天龍が登場。誌面を通じて「早く元気になって戻ってきてほしい」とエールを送った。これには柴田も深く感謝し、勇気づけられたという。
その後、柴田は新日本のLA道場でコーチをしながらリハビリに努め、手術から約4年半後の’21年10月21日の日本武道館でザック・セイバーJr.とのエキシビションマッチでついにリングに復帰。翌’22年1月4日東京ドームでの成田蓮戦を経て、同年11月からアメリカのAEWで本格的に試合出場を再開させた。
一方、天龍は’22年9月から環軸椎亜脱臼に伴う脊髄症・脊髄管狭窄症などの症状により入退院を繰り返しており、現在もリハビリに努めている。そんな中、柴田のほうから「今こそ天龍さんにあの時のお礼を言いたい。そして、何か自分が力になりたい」という申し出があり、今回、自宅療養中の天龍と柴田の初対談が実現した。
◆◆◆
柴田 天龍さん、ご無沙汰しております。
天龍 ひさしぶりだね。身体大きくなったんじゃない? レスラーらしい、いい身体してるよ。
柴田 ありがとうございます。長期欠場している時から練習だけは欠かさずやってきたんですけど、天龍さんにそう言っていただけると、すごいうれしいです。
天龍 でも、よくリングに戻ってきたね。一時は大変だったって聞いてるよ。
柴田 はい。オカダ(オカダ・カズチカ)と両国で試合をやった直後、控室に戻る途中で倒れてしまって。