第100回箱根駅伝(2024)BACK NUMBER

箱根路を経験した今井正人・井上大仁が、“未来の箱根駅伝”に馳せる思いとは? 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph by写真提供:今井選手:トヨタ自動車九州株式会社、井上選手:三菱重工業株式会社

posted2023/11/22 12:00

箱根路を経験した今井正人・井上大仁が、“未来の箱根駅伝”に馳せる思いとは?<Number Web> photograph by 写真提供:今井選手:トヨタ自動車九州株式会社、井上選手:三菱重工業株式会社

練習中の今井正人選手、井上大仁選手

井上「日本人で何番だったという考え方を取り払って」

 今井とは10ほど年の離れた井上大仁(三菱重工)もまた、山梨学院大学の3年時(2014年)に箱根駅伝の5区を走っている。

 創設時から変わらず、ランナーたちの大きな壁となってきた箱根の山は、今後も名物区間であり続けるのだろうか。井上にそう尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「コースの区間距離が変わることはあっても、箱根の山上り区間がなくなることはちょっと考えられないですね」

 では、もし近い将来に現行のルールが変わるとすれば、それはどんなことだろう。

 高校生の頃から世界を意識し、留学生ランナーと競い合えるという理由で山梨学大への進学を決めた井上は、もしもの世界にこんなシーンを思い浮かべた。

「チームに留学生が何人いても良いですし、2人3人と箱根駅伝に出場できても良いと思います。やっぱり駅伝も日本人だけでやるよりかは、学生のうちから強く世界を意識して、日本人で何番だったという考え方を取り払ってもらいたい。チームが留学生頼りになるのではなくて、日本の学生が発憤して勝負してくれたら、それこそ箱根駅伝の本来の目的に適うと思うので」

箱根駅伝の創設者・金栗四三が思い描いた夢

 箱根駅伝から世界へ。それは創設者である金栗四三が思い描いた夢だった。

 1912年、ストックホルムオリンピックに20歳の金栗はマラソンの日本代表として出場。だが、競技中に暑さのために倒れて途中棄権をしている。どうすれば世界との差を縮められるか。そこで思いついたのが駅伝競走だった。東海道を舞台とし、脚力を鍛えるのに相応しい場所として箱根の山をコースに組み込む。第1回大会はわずか4校でスタートしたが、日本初の学生対校駅伝は大きな話題となり、足に自信のある若者が次々に挑む大会となった。

 金栗の故郷は熊本。九州の実業団チームに所属する二人は、そんな歴史についてもよく知っている。戦争による中断や、未曽有の災害、コロナ禍の混乱などを乗り越えながら、箱根駅伝は今後、どのような未来を歩んでいくのか。

【次ページ】 「マラソンで結果を」「駅伝を世界にアピール」

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