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スポーツ物見遊山BACK NUMBER
「ナゾ采配で巨人クビ、鉄拳制裁も日常的に…」じつは知らない“長嶋茂雄が批判されていた時代”「あのギャグ漫画がイメージを変えた」
posted2025/06/16 11:05

第1次監督時代は鉄拳制裁も辞さない熱血漢として語られていた長嶋茂雄(当時43歳)
text by

高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
Sankei Shimbun
球界に多くの功績を残してこの世を去った長嶋茂雄。ユーモアあふれる語録は今も語り継がれるが、そのキャラクター像は世代によって大きな違いがあるようだ。「ラテ欄研究家」としても知られ、昭和エンタメに造詣が深いコラムニスト高木圭介氏が漫画やドラマを通して“長嶋茂雄”のキャラクター変遷を探る。【NumberWebコラム全2回の前編/後編も公開中】
戦後ニッポンを明るく照らし続けた太陽のような存在だった長嶋茂雄さん(享年89)の訃報に、日本中が深い喪失感を味わっている。
老若男女それぞれのファンが思い抱いてきた長嶋茂雄像を語る中、そのキャラクターには大きな違い、時代とともに変化があったことに気がつかされる。長嶋さん本人に、そんな意識はなかったろうが、時代とともに「長嶋茂雄」のイメージも変化し続けていたのだ。
国民を魅了した「燃える男」時代
まず現役時代(1958~74年)は「燃える男」「熱き男」といったイメージが強い。いつ何時も全力プレーにして全力疾走、三振してもヘルメットを吹っ飛ばし、三塁手なのにショートゴロまで全力で捕りに行く姿は人々の目を引き付けてやまなかった。かの有名な一塁ベース踏み忘れ事件(58年)や、長男・一茂置き忘れ事件(70年代初頭)など数々の面白トピックも、“驚異的な全集中”の賜物的な視点で語られていた。
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「わが巨人軍は永久に不滅です!」の名言とともに現役引退(74年)。その延長線上でスタートした第1次監督時代(75~80年)は、おおむね「燃える男」のイメージを引きずっていた。第2次監督時代(93~2001年)しか知らない世代とでは「長嶋監督」の印象も大きく異なる。