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「こりゃエラーするわ」荒木雅博が日本ハムの臨時コーチで驚いたエスコンの難易度…中日時代の悔いは根尾昂「内野手として何とかしたかった」その本意は?
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/11/14 11:02
新庄監督(右)と話し込む荒木雅博臨時コーチ
“新庄流”時短練習にビックリ
ゴロは股を割って、バウンドを合わせる。そう書いてある野球の教科書を破棄するくらい、180度の発想の転換が求められる。そして、そんなグラウンド以上に衝撃を受けたのが日本ハムの練習スタイルだった。
「9時に始まって、13時に完全撤収です。それ以降は個別練習どころか球場を使っちゃダメなんです。その分だけ、スケジュールは間延びしていない。その日は守備なら守備と決めて、内容を深く、濃くという感じでやっていました」
たったの4時間。荒木氏が鍛えられた落合博満監督時代のキャンプといえば、それこそ朝から晩まで野球漬けが当たり前だった。肩すかしを食うほど短い練習時間だったが、開放したスタンドには連日1万人超のファンが詰めかけていた。練習後には新庄監督が120万円相当のコートなどの私物を提供したプレゼント企画が大盛況。スタンドの熱気だけでなく、タクシーの運転手など街の声も聞いた。顧客満足度は極めて高かったのだ。
「新庄さんの人気はすさまじかったですよ。練習後のミーティングにも球団の方が加わって、アイデアを出している。現場(ユニホーム組)だけではない。会社と融合してチームを運営しているようすがすごくよくわかったんです」
根尾を「内野手として…」の後悔
内野守備と走塁技術を伝えつつ、自分が生きてきたのとは真逆の球団運営をしかと見た。新たな世界を知った時、やはり思いが及ぶのはドラゴンズのことである。YouTubeチャンネル「野球いっかん!」に出演し、根尾昂について「内野手として何とかしたかった」と本音を語っている。
「ことし村松(開人)とやってみて、最後はある程度の手応えがあったんです。それで『根尾もあのままやればできたんじゃないか』って」