チーム本塁打219本を放った猛虎打線の爆発による日本一。この年のタイガースは、そう記憶されていることだろう。だが、吉田義男が求めたのは“チーム一丸”だった。(初出:Number885号[球団史上初の日本一]1985 猛虎がひとつになった年。)
1985年(昭和60年)は阪神の球団史に於いて特別な光を放つシーズンである。
吉田義男監督が率いたこの年のチームはランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布というクリーンアップを軸にした最強打線を背景に21年ぶりのリーグ制覇と球団史上ただ1度の日本一へと登りつめた。
その序章となったのが4月17日、甲子園球場での巨人戦で飛び出した伝説のバックスクリーン3連発である。
立役者の一人、ランディ・バースはそのときのことをこう振り返る。
「あの年のチームはパワーのあるチームだった。カキ(掛布)、岡田、真弓……ピッチャーは少し弱かったけど、打線にはその弱さもカバーできるぐらいのパワーがあった。勝つためには自分がもう少し打つことだった。そうすればいけるんじゃないかと思って臨んだシーズンだったんだ」
2点差を追う7回だった。2死一、二塁で3番・バースが打席に立った。マウンドは150kmの豪球で売り出し中のパワーピッチャーだった槙原寛己だ。
「槙原は150kmを超すストレートを投げる生きのいいピッチャーだった。しかも前の打席ではシュートを打ってゲッツーに倒れていたから、あの打席ではムリに引っ張らずにセンター方向に打ち返すことを意識していたよ」
狙い通りに初球の144km、甘く入ったシュートを捉えた。
「自分の中では感触は悪くなかったけど、完璧ではなかった。だから打った瞬間はフェンスにダイレクトに当たるか、ひょっとしたらスタンドに入るかなと思った。そうしたら打球は思った以上に伸びていった」
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photograph by Bunshun