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藤井聡太“1%→99%大逆転”の一方で「永瀬拓矢の3勝1敗」もありえた…元A級棋士・田丸昇が“八冠獲得”振り返り「4年前の挫折を経て」
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKeiji Ishikawa
posted2023/10/15 11:04
王座戦第4局の感想戦。藤井聡太八冠誕生の戦いを振り返る
「一番大きな目標を達成できてうれしい。七冠を意識している間は、勝敗にこだわった部分があったので、これを機に解放されたい」
藤井八冠と羽生七冠の誕生は、いずれも社会的に大きく注目された。その熱狂ぶりを振り返る。
藤井が20時59分に王座を奪取すると、テレビ放送やネット記事でたちまち広まり、東京や名古屋で号外が配られた。翌日にはテレビ各局と全紙の新聞がトップ記事で大きく報道した。藤井八冠は当夜と翌朝に記者会見に臨み、その模様はテレビで放送された。藤井の個別のテレビ出演はなかったが、師匠の杉本八段が代わりにメディアの取材に応じた(当夜だけでオンラインを含めて約10社)。
羽生が17時6分に王将を奪取すると、テレビのニュースですぐに報じられ、都心のビルの電光掲示板に速報が流れた。翌日には全紙の新聞がトップ記事で大きく報道した。羽生七冠はNHKと民放各局に対局場からテレビ出演し、インタビューに応じた。
パチンコでは「七冠王」との機種まで
羽生七冠の影響は意外なところに及んだ。パチンコでは「七冠王」という機種が作られた。ある下着メーカーは、胸の谷間に駒形のアクセサリーが付く新型の下着を試作した。
藤井が及ぼす影響を「藤井効果」という。対局で食べた食事やおやつの売り上げが伸び、「観る将」と呼ばれる女性ファンが増えている。ほかにもいろいろとある。
27年前にも「羽生効果」という言葉が生まれた。そのひとつの最たる現象は、棋士の結婚が相次いだことだ。それまでは女性との縁が少ない職業ということもあって、独身の棋士が多かった。しかし、羽生の存在によって棋士の印象が良くなり、女性と交際する機会ができた。「羽生さんは私の同業者」という一言が、結婚の決め手になったかもしれない。
なお岸田文雄首相と政府は、藤井八冠の偉業を称えるために、内閣総理大臣顕彰を検討し、10月13日に正式に授与を決定した。1996年には羽生七冠も内閣総理大臣顕彰を受け、橋本龍太郎首相(当時)の官邸を訪れている。