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「勝ったら暴動が起きる」韓国の英雄とアウェイで対戦…大橋秀行が拳を磨いた“世界挑戦21連続失敗”の時代「テレビ局が負ける前提で番組を…」 

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森合正範

森合正範Masanori Moriai

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photograph byKoji Asakura

posted2023/10/09 18:06

「勝ったら暴動が起きる」韓国の英雄とアウェイで対戦…大橋秀行が拳を磨いた“世界挑戦21連続失敗”の時代「テレビ局が負ける前提で番組を…」<Number Web> photograph by Koji Asakura

日本ボクシング界の「冬の時代」に現役時代を過ごした大橋秀行。韓国の名王者・張正九と2度にわたる激闘を繰り広げた

「大橋さん、あと2時間で世界王者ですね」

 その頃、日本ボクシング界は世界王者不在が続く「冬の時代」を迎えていた。畑中清詞、六車卓也がタイトルマッチで負け、レパード玉熊も世界に届かない。1990年1月に徳島尚が敗れ、連続挑戦失敗は21を数えた。気づけば88年11月13日に井岡弘樹が王座から陥落して以降、1年3カ月も世界王者がいない。そんな状況はボクシングの枠を超え、社会的な関心を集めていた。そこで「切り札」として期待を一身に浴びたのが大橋だった。

「俺が負けたら22連敗でしょ。あるテレビ局が、俺が負ける前提で番組を作っていたんです。なぜ日本人はここまで弱くなったのか、と。逆にあのとき、すごく燃えましたね」

 人の噂も七十五日。たとえ負けたとしても、他人はすぐに忘れてしまう。もし勝てば、ボクシング界の救世主として英雄になれる――。

 1990年2月7日、WBC世界ミニマム級王者の崔漸煥(チェ・ジョムファン)への挑戦。会場は後楽園ホール。大橋にとって3度目の世界挑戦、再び韓国人王者と相まみえる。

 試合2時間前。東京ドームのすぐそばにある宿泊先のサテライトホテルにいると、大橋の付き人で、のちの世界王者・川島郭志が部屋まで迎えにきた。

「大橋さん、あと2時間で世界王者ですね」

 川島のその言葉で、大橋の心は着火した。

「試合の1週間前に川島と一緒にいたときも、バス停で『大橋さん頑張って』と面識のない方から握手を求められたんです。そこで川島が『大橋さん、1週間後には、みんなそう言ってきますよ』と気持ちを上げてくれてね。あのころの川島との会話は、すごく印象に残っています」

 川島と2人で、会場の後楽園ホールまで歩いていく。心が燃えたぎっていくのがわかった。

<第3回に続く>

#3に続く
大橋秀行の左ボディで王者が転げ回り…「一番強いヤツと闘いたい」日本ボクシング界の救世主が“最強の挑戦者”リカルド・ロペスを選んだ理由

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