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貴乃花親方と村田諒太の対談全文。
強さ、身体感覚を極限まで求めて。
posted2018/07/09 07:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Takuya Sugiyama
前人未到の領域を目指す「リングの哲学者」が
真に強き肉体と精神について深い思索をぶつけ合った。
相対するはこれ以上ない「強さの求道者」、貴乃花親方――。
Number949号(2018年3月29日発売)の対談を全文掲載します!
村田 初めてお目にかかります。今日はよろしくお願いいたします。
貴乃花 初めての防衛戦は4月ですか。
村田 はい、15日に、ブランダムラ選手と横浜アリーナで戦います。
貴乃花 1カ月前頃が一番大変ですか。
村田 そうですね。精神的には1カ月から2週間前くらいまでは。1週間前くらいになると吹っ切れますが。
貴乃花 村田さんのことは、オリンピックも拝見しておりました。金メダルからチャンピオンなんて、伝説の道ですね。
村田 いや、たまたまです。僕にとっては、貴乃花さんはやはりテレビの中の人で。僕は1986年生まれで、貴乃花さんを見て育った世代なんです。当時、曙さんや武蔵丸さんと戦われていて。一番印象的なのは、やっぱり小泉(純一郎)首相の。
貴乃花 はいはい(笑)。
村田 『感動した』。確か自分が高校1年か2年の頃でした。
相手を傷つけない、綺麗に戦う。
貴乃花 2001年ですね。本人としてはただ土俵に上がっていただけで、勝負どころじゃなかったんですが。村田さんは、何歳からボクシングを始められたんですか?
村田 中学1年生、13歳からです。貴乃花さんは何歳ですか。
貴乃花 私も中学の部活で、13歳からです。それまで、わんぱく相撲というのにはちょこちょこ出ていましたが、あまりまともに稽古なんかはしたことがなくて。中学でいい監督さんに出会って、大学まで進む約束で部活に入ったんです。でも、中3のときにどうしても大相撲でやりたい、と監督の反対を押し切って親父(先代貴ノ花)の部屋に入門しました。今45歳ですから、それから30年相撲の世界にいることになります。
村田 人生のほとんどですね。そこで22回もですか、優勝されて。
貴乃花 そうですね。でも私の場合は引退する頃はボロボロで、タジタジで(笑)。おっしゃった22回目の、ケガをして優勝したときも、相手は申し分ない横綱武蔵丸関でしたし、もうここで引退したい、と最後の居場所を探していたような気持ちで。
村田 そんなに。
貴乃花 お酒も飲まない、煙草も吸わないで勝負だけを考えて、精神的に追い詰められていたような。そこで支えてくれたのは、相撲道や武士道の精神というか、武器を持たずして、相手を傷つけない、綺麗に戦う、という思いだった気がしますね。